アトリエの鉱物・化石 

   現世の恐竜だ
         
イグアナの ハチくんです
                 
 化石編(5ページ)              総合索引 化石アルバムへ                                                                                                 
                        史上最強、史上最高、史上最悪・・・・
 
 額面通りに捉えることではないが、史上すべて知るわけではないのに史上最強生物とか自画自賛する人。人類はそんなに強いか?。地球の古生物で見るなら、急速に栄えるものはすぐに滅びている。人類の滅亡は地球の歴史の流れから見ればそう遠くない時代だろう。ある意味で最強と言えるのはウィルスだ。もっともこれは生物と言えるかどうか。例えば下等動物として地味な棘皮動物をとっても種としての生命力では人類をはるかにしのぐ。棘皮動物の多くは古生代からあまり進化しないまま、変わる環境に対応してしぶとく生き続けている。
 ところで無生物の鉱物も生成時の成分、温度、圧力をはじめいくつかの条件しかないのに、微妙な差で多様な鉱物が生れ出てくる。これにも別の世界、背景があると思う。化石・鉱物とも5ページにもなると手掛かりの少ない(ない)ものが多くなった。素人を言い訳にして続けているよ。

 普通のアマチュアなのでコラムは信頼度100%ではありません。間違いも多々あるかと思うので、いろいろあれば、ぜひぜひ"鉱物・化石アルバム"か、"リンク;アトリエぶどり"からのメール等で指摘いただければ幸いです。なお、鉱物アルバムのほうも同時進行です。こちらも覗いてみてください。

  
                       
5ページのテーマコラム  
    
後からの加筆や画像の差し替えなどリニューアルは、赤色に変える。新生代化石はなじみの和名優先した。

→1
サンショウウニ→2アイノセラス→3フェネステラ→4直角石(シュードオルソセラス)→5エンクリヌルス→6スファエレクソカス→7グラビカリメネ→8メラノイデス→9バキュリテス→10ヒプアカンホプリテス→11キヌタレガイ→12プロトグランモセラス→13プチコセラス→14スフェノプテリス→15貴州サンゴ→16ハチノスサンゴ→17レイオフィリテス→18モノチス  →19トサペクテン →20バルデドルセーラ(アンモ)→21スナモグリ(Ⅱ)→22サブプリオノキクルス →23鮮虫類→24ハウエリセラス →25ユナガヤソデガイ  →26シーロガステロセラス? →27レプタゴニア(腕足類)→28ニッポノマルシア→29ツキガイモドキ→30ヒメムツアシガニ→31キタクシノハクモヒトデ→32オキシセリテス→33トラキア→34ミズノテングエビ35ユーバリセラス→36スピリフェリナ(Ⅰ)→37スピリフェリナ(Ⅱ)→38元祖まきガイ→39テトリマイア→40ハロビア→41ユールヌリテス→42パラパトセラス→43メタプラセンチセラス44デスモセラス()45テトラゴニテス46デスモセラス(Ⅱ)47.メガスファエリオイデス48パラエオファルス→49.カニモリガイ→50,ファルシカテニポーラ →51.クラドフレビス(Ⅲ)→52.ムラモトセラス→53.クラミス→54.プリカチュラ55.シュードホプリテス →56.カルカロドン(Ⅱ)
          

                     
地 質 年 代 表
新生代
区分 世・統・期・階** 百万年
第四紀 完新世 ~1.2
更新世 2.6
新第三紀 鮮新世 5.3
中新世 23
古第三紀 漸新世 34
始新世 56
暁新世 66
中生代


後期
白亜紀
マストリヒチアン Ma 74
カンパニアン Ca 83
サントニアン Sa 86.6
コニアシアン Co 88.5
チューロニアン Tu 90.4
セノマニアン Se 99
前期
白亜紀
アルビアン Al 112
アプチアン Ap 125
バレミアン Ba 132
オーテリビアン ha 135
パランギニアン Va 141
ベリアシアン Be 146



上部
ジュラ紀
チトニアン 152
キンメリジアン 156
オクスフォーディアン 159
中部
ジュラ紀
カロビアン 161
バトニアン 166
パジョシアン 170
アーレニアン 174
下部
ジュラ紀
トアルシアン 183
プリーンスバッキアン 191
シネムリアン 199
ヘッタンギアン 201


後期 ノーリアン 206
カーニアン 237
中期 ラディニアン 242
アニシアン 247
前期 スキチアン 256

    古生代



後期
259
中期 273
前期 297


後期
303
中期
323
前期
357



後期
D3
381
中期
D2
392
前期
D1
420



プリドリ 415
ラドロウ 424
ウェンロック 429
ランドペリ 444






499





556
先カンブリア時代5億5千6百万年以前~
*有効数字は、2桁程度
**地層区分と時代区分を同じ欄に入れた。
2017版を考慮
                         1サンショウウニ  死後すぐバラバラに
                                  
新第三紀中新世~ 

 三重県産出のサンショウウニ科<Temnopleurus >だ。その中でも、ケマリウニ<Microcyphas sp>だと思われる。ただし、現生種のウニの棘の抜けた殻の表面彫刻模様(殻板、歩帯や間歩帯等・)を比較したものであり、それ以上の事、あるいは絶滅種なのかもしれない。新生代は、ブンプクの仲間以外のウニ化石報告例がが少ないようなのではっきり言えないが、この種は新生代の初めころからいたのではないか。
 白亜紀からずっと繁栄したウニの仲間に桜饅頭みたいな模様と形のブンプクウニの仲間がいて今も繁栄しているし、これは化石もよく見つかっている。他のウニ化石はうんと少ないが、それには理由があると思う。
 ブンプクの仲間は、半分砂にもぐる生活なので死後すぐに土砂に埋没できる。化石化しにくいウニの中でも化石で残りやすい大きな要因なのだろう。他方、岩礁地帯に住むウニをはじめとして数多くは死後すぐにバラバラになり化石としては目立たず、また残りにくいはず。
 そういうこともあろうか新第三紀になってもブンプクウニ以外は化石産出は少ない。少ないから保存が良いのもなかなか得られない。それで同定しにくいことになり研究もやりにくい、されない。仕方ない。
 サンショウウニは、小型のウニで、反口側の標本であり、歩帯の幅は間歩帯の半分程度。疣(棘のとれた跡)ははっきりせず完全な同定はできない。しかし現実は見かけは良くないが、この程度でも悪くない標本だと思う。画像標本はよくあるウニの棘跡ではなく棘そのものが画像の下に残されているのでこれが現生標本と比較できるのであればもっと良いが、化石標本を想定した図鑑はないのだ。それにブンプクのようにたくさん出ないことにはそもそも良い標本は混じってこない。
k
三重縣松坂市嬉野町 Microcyphus 2.9cm
画像はおなじものの凸型と凹型になる。
ウニ化石 サンショウウニ
現生のものでは蹴鞠のように丸っこい種もある
                 2アイノセラス・k     かもしれない
                                   
白亜紀カンパニアン

 異常巻き(異形巻き)アンモでノストセラス科のアイノセラス<Ainoceras>は塔型に巻いた螺環が途中からそれて殻頂方向に円を描くように伸び・・・いうより画像を見たほうが早い。成長するにつれ螺環を取り巻く肋のエッジが目立つ。なんとなく、仏像とそれを取り巻く光の輪(後背というらしい)の雰囲気。カムイ=神。アイヌの神というような種名がぴったりの雰囲気を持ったアンモナイトで、その様がちょっと神々しいように見える。 
 アイノセラスは、一つのノジュールにいくつかの個体が含まれていることがあるというが、これもそうだった。そこにはほぼ同じように成長した形ながら、かなり小さ目のものが見られた。そこに成長段階のいろいろなものがあったわけではないから、大小は雌雄を表すものかもしれない。
 スカフィテスの仲間で雌雄の例だろうとかがあったが、多くの標本を観察できる環境があれば、・・・・かもしれない。ではなくなる。
 雌雄の差異の問題と共に幼体と成体での変貌の差が大きいケースもあり、こちらは特に成長期間の長い巨大サイズのアンモナイトのそれも幼体が分かりにくい。
化石種の同定にも限界があり、このようなことで同じ種が別種どうしにされている例もあるだろう。
 もうひとつアイノセラスに・パウチコスタータスという仲間がいるが、塔型(巻貝様)部分が大きい。巻き上がり期から急に太くなる。巻貝型の螺層部分に、螺環がより近接しているなどなど。ただ、こちらは実物を所持してないので見た目だけでの話だ。
qsx
北海道沙流郡平取町貫気別 Ainoceras kamuy
6cmアイノセラス
                     3フェネステラ      コケムシ類
                                  
  シルル紀~ペルム期

 コケムシ動物の代表的なフェネステラ化石<Fenestela>である。コケムシは網目状、水中の植物状または塊状に成長した1mm前後の個虫が集まって群体になっている。多くは水に流されぬよう付着生活をしているものだが、管が集まってサンゴタイプに見えることもある。それとムシは外側に住むが化石となって残らず、コケムシの外骨格(管)が残っている。‥超マイナーなコケムシの生活についてのお話はネット上でもほとんど話題にならないので、生態はよくわからないがこの簡単な構造の生物は古生代だけの化石ではなく現世の海(水)の中でも見られる。海にいる場合の多くは石灰質の殻を分泌できる。脚光を浴びることはないが簡単な構造のものは種として長い時代を生き抜く力を秘めている。
 フェネステラを初めて見たのは宮城県の上八瀬(ペルム紀)。この場所でよく見られるのにちまたで話題にならないタイプの生物のため、この形はいったい何だろうと興味を引かれた。
 コケムシは水流を起こしたり、ろ過の役割を果たす繊毛の付いた触手(触手冠)を持つ。その意味では、よく二枚貝と誤解される腕足類にも通じる特徴。個室をもち触手を伸ばして餌をとるサンゴなど腔腸動物とも違うタイプ。画像は石炭紀産出のもの。
b-i
  岩手県大船渡市日頃市 Fenestela sp
フェネステラ 鮮虫類化石 コケムシ
      4直角石(シュードオルソセラス)直角石は難かしい
                                  
        石炭紀

 直角石は古代のオームガイのうち、直線的か少し曲がるタイプの化石のニックネーム。この直角石の繁栄期は古生代のオルドビス~シルル紀とされるが、この化石<Pseudorthoceras>については岐阜県オソブ谷(デボン紀~)のかなり上流からの産出で、石炭紀前期になる。直角石は1P以来やっと。
 直角石(Orthoceras)にもたくさんの種類があるはずだが、アンモナイトなどと違って外形はどれも似通っていて特徴が少ないため、基本的に特徴の少ない外観だけは分類が無理のことが多く、切断面をとって、体管や気室の沈殿物などの状態をチェックしなければ、はっきりできないのが普通ということ。これには貴重な標本を破損することになるので、それをしない、できないケースはひとくくりでオルソ(ト)セラスとか直角石という目(もく)レベルにしてあることが多い。それもあって外観でかなりわかる親戚の軟体動物のアンモナイトより親しみがない。
 上画像は沢からのオルソセラスのふたつのうち良い方の切断面を磨いたもの。やや長めの気室とその室内の充填物は発達している。表面付近に出てくるわずかなくびれが断面のため見やすい。石炭紀の下部とされる水屋ケ谷層では2種類の直角石が確認されている。資料をたどった結果、画像のは隔壁に特徴がありシュードオルソセラス科でよしとしておく。ここ水屋が谷ではもうひとつビタウニオセラス属とされるほうが多く出ているようだ。そして下画像は同地での切断してないほうである(切断しても甲斐がないほど残念なサイズだ)。こちらをみれば表面の彫刻があるわけでもなく、やはりほとんど特徴が分からない。これは殻表面の様子や産出の多さからしてビタウニオセラス?。こちらは予想しただけのもの。
 表面だけでは判断しにくいのはサンゴなどほかにもあるが、やはり産出の少ない直角石を壊さなければわからないというのはネック。他の多くの軟体動物と同じようには、いかないようだ。ソフトX線とか使えない?。 
 他にも直角石はあるのだが資料がない。いまは手も付けられない。
 ところでオルソセラスは昔から直角石? たぶんになにが直角なのかとふと思い、簡単な話かと思っていたら以外にもウエブ上で取り上げてもいない。
 
地図と、わずかの時間だけ車外で使えるはずのカーナビシステムを車から持ち出し、クマに気を付けながら延々と歩いたが、なんとカーナビは(当たり前に)田舎道は手を抜いている!。地図が省略気味でテキトーなものだ。これには困った。
 それでもここぞときめたところで必死で探すしかない。直角石らしきを見たときは安堵した。
 さらに余分な石とか荷物を背負っての帰りには天気は雨にかわり時々雷もなるし、ずぶぬれにはなるし、ずいぶん前の事なのに最悪なイメージだけは残っている。
cc,d-i
岐阜県高山市福地の水屋が谷 
Pseudorthoceras sp 2cm
直角石 オルソセラス
Bitaunioceras undulatum?未クリーニング品

               5エンクリヌルス・f  エンクリヌスとは違う
                                    
     シルル紀

 岐阜県一重ケ根の三葉虫エンクリヌルス<Encrinurus>である。三葉虫の化石についてはすでにアルバム本で紹介していたが、さしたる話も追加記事もないため遠ざかっていたが、ある石友(GG氏)と4億年前の世界を尋ねて、錆びかけていたエンジンがかかり情報他の交換できて5ページにしてやっとアップすることできる。
 これは三葉虫の尾部だが、幸いにエンクリヌルスの場合、尾板はかなり特徴がある。アルバム本のおりは、一重ケ根でのこれまで産出は尾部でも中軸部付近だけでコメントし難かったが、今回(上画像)のは、それよりはるかにましだ。4億年以上昔の生物を見ているだけで何とも不思議な気がする。
 欠けてなければ二等辺三角形に近い形状で、三葉のうちの側葉の肋の数が10くらいならそれに対応する中軸葉の盛り上がり部分(軸環)の数は20~30近いということで軸環(溝)数が2.5倍前後ほど多い。これが他の三葉虫の尾部とは何となく違うなと思わせる。
 また、正中線付近がやや平らになっているようにも見える。尾部が完全でないが見える範囲では、溝が見えなくなるタイプではない。平らになっているかは不明。正中軸には間をおいてみられる疣のような痕が残っている。一重ケ根では他に・キタカミエンシス類も産出するとされるが、こちらは正中軸付近が平らにもならないし疣の存在もないので、・フィムブリアータスが相当するかなと思う。 
 ところで、一重ケ根にはオルドビス紀中~後期のコノドント化石が出ている。その近くでの岩石からの放射性元素の年代測定はオルドビス紀前期となるらしい。
 下画像は高知県横倉山産だが、これもエンクリヌルスspの尾部。左側(凹型のほう)は、中軸部が平らで、疣の痕は見えないので南国土佐を冠する・トセンシスのように見えるが、右側(凸型)はあまり明瞭でなくわからない。
 エンクリヌルス属自体は日本初期のシルル紀を生きた示準化石になっているが、2600万年とは誤差あるにしても長い。さらに三葉虫ということならおよそ30000万年は生き抜いている。実はマイナーな.直角石も地味な割には同じほど長いものだ。ちなみにヒト属は今のところおよそ500万年とか。
  シルル紀の時代と言えば上空にオゾン層が次第に形成されてきて生物に有害な紫外線が減り始め、湿地に簡単な植物、次いで昆虫の類が進出し始めたころ。たぶんタイムマシーンから出たら人はじきに死ぬ過酷な環境。シルル紀ころまでは、海中の溶存酸素はまだ十分でなく、活発な生物の少ないゆるやかな環境だったかなと想像する。シルル紀ころまでは今を生きる生物から見ればかなり厳しい環境でも、たとえばエンクリヌルスの属は長寿命のようなので、推定すれば当時の三葉虫や直角石には敵がまだ少ない穏やかな海だったのだろうな。
p,kw
岐阜県高山市栃尾 Encrinurus cf fimbriatus
⇔4mm
エンクリヌルス シルル紀三葉虫
高知県高岡郡越知町 6mm前後  石友より
エンクリヌルス シルル紀化石
                                6スファエレクソカス      三葉虫Ⅱ                                  シルル紀

 高知県横倉山の三葉虫スファエレクソカス<Sphaerexochus>になる。昔のことなので一般向きの図鑑は原色化石図鑑のみ。そのバイブル的図鑑の締めに載っていた写真。日本の歴史はここから始まるという書き出しに「ほなら、いかなきゃ」。それからしばらく後に知り合った先輩が横倉山経験者で願いが叶う。念願のシルル紀だった。
 いろいろが初めてなのに、三葉虫他いくばくか採集できたのは案内者のおかげと、それが昔という時代だったからだとおもう。
 そして最近のこと。英文資料を持つGG氏のアドバイスもあり少しクリーニングを進めて照合できた(残念、英語は忘れかけている)。私の場合、ネット検索だけでは情報が不足で、やはりある程度しっかりした資料があるとないとでは大違いである。 話は戻るが越知町の現場近くに博物館があり、かすかに見学した覚えがあるが、そういう現地付近で得られる資料は重要になる。
 この三葉虫はスファエレクソカスの頭部で丸こい大きな頭鞍部と固定頬が目立ち、その表面に顆粒は見られない。資料によれば小さな遊離頬もあるようで、眼はここにあるようだ。しかし、検索画像含めて残っているものをまだ見たことはない。 尾部は画像等で見たことはないが、原図では肋の数は少なくごつごつしていて顆粒や棘はないようだ。これらから国内での完品はなさそうに思う。
 ところでシルル紀の三葉虫は世界的にも少なく貴重とされるが、これはオルドビス紀末にあったとされる大絶滅と関係があるのだろう。加えて、古生代の他の地質年代(紀)は、平均5700万年間ほどに対してシルル紀はおよそ半分の2600万年ほどしかないのでなおさらだ。
m
高知県高岡郡越知町Sphaerexochus sp10mm
スファエレクソカス シルル紀三葉虫
                 7グラビカリメネ他   三葉虫Ⅲ~Ⅴ
                                  
     デボン紀前期

 その筋のショップでもよく見かけた、三葉虫の定番のような化石のカリメネ<Carimene>が国内では産出が珍しいとは思いもしなかった。もっとも日本ではデボン紀の分布する地層の面積が狭いこともあり三葉虫自体が稀な化石ではある。
 飛騨外縁帯にあたる岐阜県福地地区は、デボン~ペルム紀にわたる地層が分布していて、これまでに多種類の三葉虫が観察されている。とはいっても2~3種類以外はまれ。
 カリメネはオルドビス紀~デボン紀に栄えたが、大きな分類ではファコプスのオーダーになる。属レベルのファコプスは国内では東北に産出している。過去にはこの地でも産出があったようだ。フレキシカリメネ属は主にオルドビス紀ものが、海外でよく産出している。これはグラビカリメネ属になるが、○○カリメネと称するものはほかにもある。しかし、このファコプスグループ内での違いをしりたいが産出が少ないためか今は手に負えない。
 ここ飛騨外縁帯でのデボン紀相当の地層でのグラビカリメネ(上画像の①)になる。もちろん三葉虫は種類を問わず偏在していてそうそう簡単にお目見えしてくれないものだから嬉しい。 有名な自然館の三葉虫に完全なグラビカリメネ・ヤマコシイ(現在は科博)があるが、稀にはフレキシカリメネが出ている(三葉虫の産出自体日本では珍しい)。上画像の②は側葉の傾き具合から、プロエタスではないだろうか。
 また、上画像の③については、クロタロセファリナの頭鞍部の一部だろう。ということで、一個の石で3種類が見られる面白い標本だ(これには石友の示唆がある)。
 さて、G・ヤマコシイの尾部について;扇を90度以上でひらいたようなかたち。中軸部の膨らみは強く軸環数は6、溝が深いのでメリハリがある。側葉の肋もほぼ同じ数だが、挿入肋を生じることがある。福地では腕足類も固有の種が多いので、三葉虫もそうだとするならこの上画像の標本は・ヤマコシイだろう。細かな顆粒はルーペでそれらしきものはある。

 下画像はG・ヤマコシイの頭部;頭鞍部は後方に向かって緩やかに広がる。頭鞍溝によって仕切られる3対がこぶ状になり、それは後方ほど大きい。頭部を取り巻くように縁面のプレートがある。全体的に細かな顆粒がある。眼は頭鞍部第2こぶラインの頬にある(細かな専門用語は知らない)。
 
ということで下画像は変形しているが、眼の大きさが大きいこと、細かな顆粒が見えないことを除けば合致している。グラビカリメネ・ヤマコシイのようだがグラビカリメネspとしておく。
 
 これまでカナダやアメリカなど海外に3回以上採集に行っている方の標本を見る機会があったが、それは考えられないほど完全体を持ってきている。完全体は珍しくないという。有名なモロッコ産のものは選別されて輸入されているだろうが、やはり完全なものは少なくない。ところが、ここ日本では完全体というだけで超レアという状況である。地殻変動の多い日本だったから?この落差が私の昔からの謎です。
do,es
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷 Gravicarimene 尾部 ③はクロタロセファリナ
カリメネ デボン紀三葉虫
同上   Grvicarimene頭部(thanksZZ)
3.2cm 
カリメネ デボン紀三葉虫
                      8メラノイデス    地味ですけど
                                      
      白亜紀下部
 福井県和泉地区のメラノイデス<Melanoides>化石。これは非海生=汽水~淡水のゾーンでの巻貝。このゾーンはかなりの率で殻本体が溶けているのを普通に見る。例えば同じ巻貝でもビビパルスと違ってメラノイデスは画像程度以上の保存状態のものでも簡単には見つからない。殻の成分が微妙違うのだろう。このような場合、殻の表面の彫刻を示す方は凹型のほうに残っている(凹型のほうがより種名判定材料になる)。そういうものが多いが、貝殻の主要成分になるCaは汽水~淡水ゾーンでは少ないことが関係していると思われる。
 非海生貝類は殻の彫刻があまり派手なものはなく、種類も海生に比してうんと少ない。メラノイデスはこのゾーンの巻貝のうちカワニナの仲間になる小さな巻貝である(他の地域でやや大型種もある)。現生のカワニナが群れているのに似て、メラノイデスが見つかればある程度の数が出るようだ。
 メラノイデスには、太っちょとスマートタイプの2種類があるが、亜種程度の違いとされている。
画像をマウスでクリックすると二種にみえるタイプを切り替える。a-j
福井県大野市和泉 Melanoides vulgaris1.2cm
メラノイデス 白亜紀
                                           9バキュリテスと    頂端が見たいのに
                     
白亜紀コニアシアン~マストリ

 バキュリテス<Baculittes>はアンモナイトの化石でも形や表面装飾が単調なので、好きじゃない欲しくないとのたもう化石を飾って楽しんでいるアンモの石友。人の興味の幅も人それぞれ。全地質時代の流れからこの道に入った自分と比べて「割り切れるのもいいなあ」と思う。
 このバキュリテスとその仲間は、白亜紀後期の化石として比較的多く分布も広い。ところが解説資料、解説、良標本は今のところ見いだせない。見られない!。平凡だからだろう。化石を捕獲しても疑問(興味)はなかなか解決できない。
 フィールドではバキュリテスは珍しいわけではないのに、化石の保存が良くなくて、殻口の形が残されているものや反対の殻頂部が欠けてないものは見られてない。化石化するときによく折れている。ルーペで断面を見てみると殻がかなり薄いような気がするが、このことは一つの原因や結果になると思う。
 ベレムナイトとバキュリテスは採集の限りでは生存期間が重なっていないように見える。化石の形は似るが殻の成り立ちと体の仕組みと全然違う(収斂のため)が、想像図からはともに海中をすいすい上手に泳ぐかのようだが、それとしてもバキュリテスは方向転換は苦手としか思えない。果たして?。
 化石でのバキュリテスは、直線状か、かすかに反っているなのに、殆どの復元画ではデンタリウム(ツノガイ)のように角状にかなり曲がって描かれているが、泳ぎは大丈夫か。なおデンタリウムは泳がない。
 スキポノセラスはバキュリテスの先祖型で、 ~チューロニアンまでとされ成殻の殻口の所が曲がるとされるが、本当かと疑うくらい殻口を欠かないものは見ていない。形状や表面の装飾はどうなっているのだろう。 普通の人はそんなことは気にしないのだろうな、と思うが興味の尽きないバキュリテス。
 上の画像は殻頂を目指して再度クリーニングするも2.5mm径で方解石層にあたり終了。他のバキュリテスも併せて眺めみると相当に細長い体形のようだ。殻が少し剥がれているが殻は薄い。両端が残る可能性の大きいものなら、大きな母岩ごと持ち込み両端は細心のクリーニングをする必要がある。でもいまの立場でバキュリテスの扱いは木の棒の化石なみだろうか。
 下の画像はクリーニングするも1.2mm径で断念。保存は良いがこの段階になると殻が薄過ぎる。ところが何か変!。これはバキュリテスではなくポリプチコセラスのU1前の直線螺環の部分だ。ところでバキュリテスは基本的に螺環の断面がだ円形になっている。
g,c-iw
北海道芦別市頼城~奥芦別 コニアシアンとか
Baculites cf bailyi  8.4cm
緩やかにカーブする成長肋をもつ
バキュリテス
同苫前郡上羽幌 サントニアンとか
Polyptychoceras sp 約5cm
バキュリテス
     10ヒプアカントホプリテス  どれもこれも変形
                         
白亜紀下;アプチアン主体

 '80年ころの本を手にして、長野県戸台を訪れた。当時は化石を扱う本は数えるほどしかなかった。薄めの本の半分ほどは学術的な話が盛り込まれていたが、残りの一部にここの簡単な記述があり、興味を持ったがそのころはずいぶん遠い場所だと思ったものだ。現場では自分の立っている位置の確信もなく、それらしき堆積岩を見ては探し回るというだけだったが、それでもアンモ含め数個の化石が見つかり、自画自賛して希望をつないだ。
 ここのアンモナイトはどれも小さいうえズレるように圧縮されている。臍付近が殆ど消滅していたりで全体の観察はなかなかむづかしく、同定に苦労するのが多い。。戸台層は前期白亜紀のアプチアンに対比され、岩手県の宮古層群の一部と被っている(参考になるはず)。
 画像は<Hypacanthoplites>で、ヒパカントプリテスになりそうだが、意味からはヒプ・アカントゥ・ホプリテスの組み合わせのようで日本読みが何とでもできるのはかえって困る。
 戸台地方はバレミアン(上)~アプチアン(上)とあったが、アンモはアプチアン上部層が主体だとか。Hypacanthoprites化石は、幼殻の側面は平らで、中庸な臍を持つ巻き方の、たぶん3cm以下の小型のアンモナイトのようで、成殻に近づくに側面が少し膨らむらしいが、変形が甚だしく不明。。ヒパカントホプリテスは肋がいくぶん屈曲し、ときおり短い二次肋(そこに疣)を交えたりするというが画像では分からないし、そのような画像を見たことはない。。

長野県伊那市長谷 Hypacanthoplites 2.3cm

              11キヌタレガイ       生き方が違う
                            
古生代オルドビス紀~

 静岡県掛川市の化石でキヌタレガイ<Acharax>になる。。これは新第三紀鮮新世にあたるが、本邦の化石のキヌタレガイの鮮新世の例は少なく、少し古い新第三紀中新世の報告のほうが多い。サイズは大きくなるものや小さいものまである。
 キヌタレガイの仲間は古生代から報告があり、その姿かたちもあまり変化していない。現生にもキヌタレガイはみられるので、まさに生きた化石。その姿は深海にも広く適応したイオウ細菌共生型のタイプの貝であるという。やや浅いところでも環境さえ合えばよいらしい。
 ところで、海中で硫黄を使うということは多くはブラックスモーカーの噴き出しているような環境。例えると海中の火山噴出孔みたいなところだ。人には致命的なガスのH
2Sが発生するような状況下で、イオウ酸化型細菌はH2SやSを酸化することによってエネルギーを得ている。キヌタレガイはこれと共生して体の中で増えすぎる細菌を栄養にしているということだろう。これなら殆ど餌を得られない場所でも生きてゆける貝になりそうで、繁栄期間が長いということは納得できる。
 画像標本では見られないが、たまにキヌタレ[衣垂れ]の名前の由来の殻の外まで伸びる長い殻皮が残っている化石もあり、それはそれは印象的なものになる。
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静岡県掛川市成滝 トクナガキヌタレガイ
Acharax tokunagai 2.5cm
キヌタレガイ 貝化石
             12プロトグラムモセラス・y あれ!どこいった
                       ジュラ紀プリンスバキアン上

  山口県豊田町の化石でプロトグランモセラ<Protogrammoceras>。ハルポセラス科(プリンスバキアン~)のS字型に屈曲した肋を持つが、この科は種が多くて紛らわしいのがいっぱいで海外のHPの閲覧でも印象は変わらない。属を特徴づけるキーワードが読み取りにくい。
 国内のルポセラス科に限った資料で、画像との見かけ、生存期が近いのは、カナバリア、ハルポセラトイデス、フッチニセラス、プロトグランモセラスまであり、いずれも臍近くのS字屈曲度が弱いもの。
 国内のプロトグランモセラスは3種ほどあるようだが、腹部に稜を持つことと、少し成長すると螺環がユルユル巻きなこと、そしてS字屈曲が弱いことと分岐もない。種によって肋は相当に密で高さの低いものと、それよりは疎で肋の高さのあるものとがある・・で他の条件は不明。あとは化石標本の鮮度次第ということになる。ところが、この地域の標準的化石をふくむ母岩は水分が入り込みやすく、グズグズ化してゆき化石本体のディテールが失われやすいが、この個体は状態がいいほうだ。
 画像はプロトグランモセラス・ヤベイとするのが妥当だろう(たぶん)。化石アップの前に写真を撮りなおそうと捜したが、標本が現在行方不明と分かった。残念。
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山口県下関市豊田町
Plotogrammoceras yabei  
プロトグランモセラス ジュラ紀アンモナイト
                           13プチコセラス  ポリプチコセラスの祖先か
                    白亜紀下 バレミアン~アルビアン

 プチコセラス<Ptychoceras>は下部白亜紀の上部アプチアンの頃に出ているが、アプチアン期の分布は狭く、おかげで存在自体あまり知られない。画像のプチコセラスの標本はどの程度のレベルかは分からないが、3本のシャフト(2ターン)がわかるだけでも、まあ良い状態だと思う(というより画像検索では海外のものしか出てこない)。これはまさにゼムクリップ型で知られる上部のサントニアン~で有名なポリプチコセラスの祖先系であろうが、アプチアン以後~は姿を消しているかのようでその間を埋める記録、記述は何もみつからない。
 化石産出は数十年前もの昔のこと。戸台(アプチアン中~後期のようだ)産になる。ここでの異常巻きアンモナイトは、'80年ころにハミテス?が報告されている要だとかろうじてわかった。標本はかなり状態が悪いが、割り出したときに「異常巻きのようだ」くらいはわかった。それを長らくアプチアン後期~アルビアンに当たるハミテスとしていたが、最近になってルーペでよく観察するとシャフト部分がほぼ接している。それはハミテスのではない。有名な北海道のポリプチコセラスに近い巻き方だ。友人とも確認した。
 宮古層群の何かの資料だったが、そこでプチコセラスが確認されている。そしてその一部は戸台と同じ層準になる。また、海外アプチアン産も参考にしてプチコセラスspとラベルをしていたが、わずかに確認できたプチコセラス属の海外標本ではかすかな肋さえ見られないものだった)。やっと最近になってプチコセラス属に類するイナプチコセラス<Inapthychoceras>になるの。ということにたどり着いた。イナは伊那市の事で結局新種ということにほかならない。
 上画像
と、下画像はカウンターになる2枚になる。画像の中での矢印→はU1とU2のターン部分。サイズはポリプチコセラスに比べかなり小さい。この標本は保存があまりよくないが、ごく弱い肋の痕が残っているように読み取れる(外型の内側と外側の両方を見て)。しかし手持ちの他のパーツ標本では成長方向に斜交した肋が読み取れるものがあるので間違いない。
 
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長野県伊那市長谷町 Inaptychoceras sp 3.5cm
プチコセラス 白亜紀アンモナイト
プチコセラス 白亜紀アンモナイト
                14スフェノプテリス・G  資料も少なし
                           古生代中期~中生代

 スフェノプテリス<Sphenopteris>類は和名をクサビシダと言い、岐阜県の尾上郷地域の山奥からのものでこのあたりは示準化石が出ていないが、およそ白亜紀前期のネオコミアン(Be~Ha)。昔は恐竜なども闊歩していた地域だ。こういう植物を食べていたかと思いをはせる。スフェノプテリス植物群はおよそ似た外観を持ち羽状体の二次脈がはっきりしないグループとされる。多くの種類を抱える有名なクラドフレビスとかと同じ扱いになる。
 残念ながら植物の化石は大なりし小なり炭化していて気孔など細かい構造とか種子、胞子など生殖構造の残りにくい植物なので、種名がそう簡単にわかることはなく、簡単な特徴だけが分かるものをグループにまとめている場合がある。これがまた細かい特徴が分かる個体が出れば、その後に種や属が変更になる。
 今までいろいろやってきたが、植物化石については画像になっても色の差が細かく表れにくく、葉脈など特徴が表れにくい、調べてもなかなかわかりにくいのが正直なところだ。良い保存化石でというよりは、その写真よりもさし絵と解説を合わせて示したような組み合わせの資料があると良いのかなあと思う。
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岐阜県高山市荘川町尾上郷 Sphenopteris aff
goepperti 左右10.5cm
スフェノプテリス 植物化石
                                     15貴州サンゴ              ケイチョウ?
                              石炭紀前期

 珊瑚の類は示相化石として知られるが、貴州サンゴ(クゥイチョウフイルラム化石<Kueichophyllum>は石炭紀下部を指示する示準化石としても有用のようだ。古生代四放サンゴであり、単体サンゴとしては大きくて10㎝に達するものがある。昔のこと、岩手県大船渡市の現地で、大きな単体珊瑚を得て、減量しにくく母岩ごとでリュックいっぱいになるものがあり結局パスしたのが残念。画像はそのかわりにと得た小さめの個体。それでも他種の単体サンゴより大きい。
 風化面だけでは十分な情報が取り出せない珊瑚化石なので、ここでは大型になる単体サンゴをいくつか比較、その後石友に見ていただいたという程度の手順できめている。トリコイド型で外側の目の細かい隔壁、中ほどの細長い隔壁、軸部付近のやや不明瞭な隔壁などで判断。
 貴州珊瑚は、ケイチョウフィルムというが、日本語でつなぐならそこはケイシュウかキシュウサンゴではないか。現地の発音語を優先するのなら、クゥイチョウフィルムとすべきでしょう・・と関係者、曰く。
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岩手県大船渡市日頃市Kueichouphyllum
左右5.5㎝(ただし圧力変形)
ケイチョウフィルム 貴州サンゴ
                                        16ハチノスサンゴ     なにげにすごい
                        (オルドビス紀)~デボン紀)

 日本最古になるオルドビス紀。その一部を含むシルル紀層中心に分布する岐阜県一重ケ根のハチノスサンゴ<Favocites>である。化石の珊瑚の中でももっとも知名度が高い種類で示相化石としては有用になるが、生存期間が長いので示準化石とまでは言わないほうが良い。これを換算すると生存期間がおよそ8千万年以上にもなりこれは新生代より長く恐れ入る(すごい)。多くの珊瑚はそうで、15の貴州サンゴは、生存期間短く示準化石にもなるがそういうのは数すくない。
 ハチノスサンゴは古生代珊瑚の代表的なもので分布は広い。あまりにも有名すぎてかえって関心を示さない(なーんだ)人も少なくない。6p-36ではデボン紀のハチの巣サンゴを話題にしている。
 平面方向でみてハニカム構造が特徴だが、風化の仕方によって、表面の形は一定していない。右の画像については縦方向の表面から見たもの。
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岐阜県高山市栃尾 Favocites 6cm
ハチノスサンゴ 
                                          17レイオフィリテス     新しい世界
                      トリアス紀下部 スキチアン

 三畳紀(トリアス紀)のトピックスが少なかった。画像は大沢のレイオフィリテスになる。 <Leiophyllites>は、広いへそを持ち、表面の装飾はほとんど見られない(化石の保存が特に良いものには条線くらいあるかもしれない)。トリアス紀ののは、知る限りどれもぺしゃんこの化石だが、画像のはなんとなく螺環は長楕円形のように見える。属として長続きはできなかったようで、産出は下部層の一部に集中している。三畳紀は約4000万年続き、その終わりはまたまた生物の激減を迎え、かなりの種が入れ替わるという時代でもある。
 古生代末の世界規模の大変動の後、大半の生物が入れ替わるがその規模は中生代末の大変動を上回る。そして三畳紀になって生物の回復期を迎えるが、いちおうの回復までに500万年、安定するまでには1000万年との試算がある。だとすれば下部(スキチアン)のおよその生物は、厳しいが天敵も少ない時代だったのかと思う。新しいタイプの生物にとっては進化繁栄を試みるチャンスだったのだろう。この三畳紀下部にあらわれた、歌津の魚竜や絶滅したゴニアタイト型に成り代わったセラタイト型アンモを見る目が変わる。
 三畳紀層の国内での分布は狭いが、このような事情もあって見られる化石種も化石の数も少ないのだろう。
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宮城県気仙沼市本吉
Leiophyllites 4.2cm
レイオフィリテス レオフィリテス 三畳紀アンモナイ
                                            18モノチス     新しい世界
                      トリアス紀上部 ノーリアン

 三畳紀の示準化石でもっとも重要な物の一つが(エント)モノチス.<Monotis>。三畳紀層そのものは少ないがそれでも国内の数カ所で産出している。これが産出するときは狭い場所に数がまとまって産する。そこで、どのような生き方をしていたのか気になるが今もって解明されてない(化石は推定まではできるが確定は難しい)。
 モノチスは圧力を受けて変形しているものが多いが、ヒビが入っているものを見ないのでやはり殻は薄かったのかと思う。弱い同心肋と、蛇の目傘の骨のような荒くてはっきりとした放射肋が、殻頂から伸びていて途中から伸びる細い2次肋も見られるが、全く見られないのもある。殻は左右同等のものや不等で左殻が膨らんでいるものがある。また保存が良ければ足糸湾入の部分が見られるようで、足糸を出して何かに固着生活していたことになる。
 上画像は宮城県細浦産でこれは変形のほとんど見られないもので左殻になる。鋏線はほぼ直線的。
 下画像は、圧力を受けて変形したり、密集で折り重なったりしている例で殻が薄いため現実にはこのようなモノチスが多い。
 このうち肋の数が多い・オコチカが主流だが、肋数変化した・ザバイバリカとかあるようだ。しかし、境がはっきりしないのか最近では個体変異の範囲内という考え方が多いようだ(亜種程度ならありそうな気もするが)。
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宮城県志津川町Monotis sp 2.2cm
モノチス エントモノチス
岐阜県揖斐郡春日村 Monotis 4.6cm
モノチス エントモノチス
                                          19トサペクテン・n          土佐
                     トリアス紀上部;カーニアン

 これは福井県高浜町からトサペクテン<Tosapecten>の化石である。当時は残土捨て場になっていたところだった。当然高知県に同じような地層が分布している。比較的大きいのが、散在して出るような印象。よくあるホタテ(イタヤガイ)と同じグループであり、今のホタテガイのように、パタパタと殻を開閉させながら泳いで敵から逃げることがあったかもしれない。
 頁岩中の多くがそうであるように、この地でも殻本体は溶けているので、見栄えを問わないならキャストから型を取ったものが本来の殻表の彫刻に近いものだ。産出地からも、また、殻表の放射肋の本数が少ない(右殻8~10本程度)ことからも・nabaensisということでいいはず。ただし、左殻では肋の数はずっと多い。その右殻のほうが少し膨らむのが、変形が大きいのでさほどわからないはず。通常耳状部で足糸の出る不連続のあればそちらが前になるが、トサペクテンは足糸があったしてもたぶん少し大きくなると足糸を切っていたのだろう。
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福井県大飯郡高浜町和田
Tosapecten nabaensis 7cm
トサペクテン 三畳紀貝類
                       20ヴァルデドルセーラka     どっちやろ
                 白亜紀下部:(バレミ)~アプチアン

 画像は長野県戸台地方の化石でこれまたずいぶん古いものになるが、Valdedorsellaか(カナでの読み?)としている。アンモの臍の部分は空洞になっていたようでクリーニング時に脆くも崩れ去った。特徴は少し丸みを帯びた螺環とやや頻繁なくびれ、ほとんど直線的な肋になるが、種によっては、肋の浅いものや臍の直径の大小などで区別がなされているとか、そうであればこんどはシュードハプロセラスとの違いに注意を要する(シュードハプロセラスは肋が少しS字型になるのと、くびれがさほど目立たないという)。
 さてこの化石は永らく所属が分からずにいたが、宮古の層に関する資料(日本化石集他)に、出ていてそれによると時代、形状とも矛盾しない。3種ほど紹介されていて、そのなかではV・akuschaensisに近い。宮古層については資料が少ししかないし、裏付けの少ない判断でしかない。それと山中の石堂層(下部のバレミアン)にもこのアンモナイトがある?との情報もあったりする。なお戸台層上部に関してはアプチアンの上部とされる。これらの情報に関してはもう少し収集したい。

長野県伊那市長谷町 
Vardedorsella  3cm
バルデドルセラ 石堂層
                                 21スナモグリ化石(Ⅲ)    やっとあった!
                                 新第三紀

 4p-3,34からのスナモグリの鋏化石のつづき。上画像は浅い海に見られるスナモグリ(カリアナッサ)の方ではなく深い海に住むカリアノプシス<Carianopsis>化石になる。
 全国のいろいろなところでスナモグリ化石は産出しているのに、化石として残るのは頑丈な鋏(はさみ)ばかりで、スナモグリ全身を示す化石は滅多に出ないのが実情(どこか他でも出ているのだろうが、今は例を知らない)。その理由は体を形作る外骨格が、死後分解しやすいキチン質でできているからだと思う。
 現生で釣り餌にも使われているタイプのスナモグリを直接見ることができたが
、そのハサミ以外はいかにも頼りなく、化石として残りにくそうだということがよくわかるので、この程度でも良いのではないか。
 この画像化石についての保存はよくないので、どこがどうなってんだかよくわからない所もあるが、主要な部分は残っている。ただし、鋏の先の一部は、続きの母岩にあったものでそれを並べて撮影している。鋏を入れると全長は14.5cmに及ぶが、やはりというか頭部から尾部に向かうにつれ明瞭さはなくなって、尾部はシミみたいな状態に近い保存ながらおよそのフォルムは残されている。 
 産出は知多半島の南方になり、中新世前期にはこの地域の多くが深い海だったところとされているのであたりまえに化石は偏在している。そのうえ最近は多くの造成工事も終わりそれに伴い化石を見かけるのが激減しているが、今でもたまにはやや珍し系の化石を含んだ地層をみることはできる。
 昔はカニの爪と称して知られていたスナモグリノの化石(知多半島南部のは大半はカリアノプシスという)は、化石の保存が良いノジュールが出るようなところでもハサミ部分だけ見られたため、完全体は夢のようなもの。
 現地はありふれた数種の化石がポツポツと出る程度だが、中にはおチビさんのウデナガのクモヒトデも。またハサミの化石も見たが、どれもノジュール化していない所のため鋏としては見劣りするものだけ。
 その化石は割ると大したものではないと思ったが不思議なもので目が慣れた瞬間にはエビのようにみえる。主要部分はまもなくクリーニングできたものの、つづきは別の石になることが分かり、観察すると薄い縞模様が続いておりそこに腹部から尾部にかけてが薄く残っている可能性がある。でもあるかどうかはわからない。しかも数ミリメートルの厚さの板部分を残して逆側からクリーニングしないといけないという失敗のできない難しい状態にある。結局そのままが無難、と1年近く迷った代物。ハサミ部分の入った石は何も見えなかったが捨てなかったのがよかった。
 参考までにスナモグリというわけではないが10脚類のモデルを下画像にして載せてみる(へたな見取り図)
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愛知県知多郡南知多町Carianopsis sp
画像の7cmほどはハサミの部位
スナモグリ化石 カリアナッサ
; 下図は10脚甲殻類の簡略見取り図
          22サブプリオノカイクルス  4p-3,34に関連

                        新白亜チューロニアン
 画像の化石はリーサイディテス・エレガンスとラベルしていたが、現在ではこの種名そのものが登録されてないみたい。詳しい方に問い合わせると、今は属名が変わりサブプリオノきクルス(サブプリオノかいクルス)<Subprionocyclus>に改定されているということ。また、このグループは個体変異が大きいようで注意すべきだという。
 もう一度チェック。似たものでよく知られているのが(旧)リーサイディテス・ミニムスでこれは今はサブプリオノキクルス(Subprionocyclus)・ミニムスに変わるようだ。それでS・エレガンスというのはどうなったんだか。
 ちなみに・ミニムスのいちおうの特徴は殻はやせていて、側面では少しS字状になった肋がある。この肋の外半部には分岐や挿入が見られ、巻きは密でへそが狭いとか記載されている。なお肋の断面は緩やかである。画像はそのS・ミニムスと少し違うようだ。これより少し太っていて、肋の分岐がへその近くからになっているのが・ノルマリスで、肋は腹側部分では突起になり山型になっているキールと同じように並ぶ。 標本はこちらS・ノルマリス(上)のようだが、果たしてその・ノルマリスは今も使えるか。
 なおラテン語系統のcyはキマトセラスや、キカデオイデア、キルトスピリファーのようにカタカナ表示ではキが近いが、今は別に英語読みでいけないことはない。読みが入り乱れていることを今更厳密にはできないことのようだ。でも、表記するときやカタカナでのネット検索では、不統一のため困ることがある。それが鉱物の場合は一命名で基本が英語読みなのでたとえカタカナ検索(和名)でもさほど困らない。化石の場合は不統一の上に二名命法であり、読みは個人の好みでいいとして表記はリンネの二命名法に従った学名に統一指示してくれるといいなあ。g-i
苫前郡羽幌町上羽幌 殻薄い
Subprionocyclus cf normalis 4cm
サブプリオノキクルス 白亜紀チューロニアン
                                                   23鮮虫類?        もっとあるはず
                              新第三紀

 そういえば、鮮虫類化石の話題はなんで古生代だけ? そう思っていて5-3.フェネステラの際に調べてみたら、やはり現生でもあたりまえに生きている。
 しかし化石資料での鮮虫類のニュースはもっぱら古生代だけで、中生代以後はぷっつりでまったく知るを得ずだ。地味に見えるものは目に止まらないか、放置されているとかだろうか。ちなみに画像のは昔に旧採石場で採集したものの、ほぼ迷宮入りで結局所属不明(藻類?)にしておくが、何らかの生痕かも。
 その気になると、上述のフェネステラ(石炭紀~)に似た構造をもつこと。現生では、岩肌や砂泥、貝に付着したりもするということにヒントを得て仮に同定したもので、念のためエキスパートにもみていただいた。現棲の鮮虫類はなんと1000mの深海にも適応している種さえあるようだ。ちょっと驚いたが、見た目と違って鮮虫類は植物ではない。したがって深い海でも可能だ。過酷な環境でも生きるような生物は、生きた化石といわれる古いタイプの生物が目立つ。話題にもならないが鮮虫類でも生きた化石ではないか。
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三重県津市美里町 本体3cm程度
鮮虫類化石
                                               24ハウエリセラス・a    何食べる?
                         白亜紀サントニアン~

 ハウエリセラス<Hauericeras>は薄い凸レンズのような断面で化石殻の表面はほとんど平滑でその殻も薄くハイスピードの遊泳に適した体型だとされる。臍は広くクリーニングしやすそうなものだが、その薄い殻は剥がれやすくそのために最初から縫合線が現れている化石が多くみられる。ちなみにこの画像のアンモナイトのように殻口まで縫合線の見られる部分は住房ではない部分なので、そこが残っていればもうワンサイズ大きなアンモナイトになるはず。でもなんとなく一般にはハウエリセラスは住房なしで縫合線だらけのほうが好まれているような気がする。
 今のイカを見ても様々な体形をしている。アンモナイトの肉体部分も螺環の開口部の形に制約されていろいろな体が殻の外に延びていたはずだ。
 この薄っぺらいハウエリセラスは何を餌にしていたのだろうか。肉体部分は残らないのでわからないが、何しろ螺環の幅が狭いので当然餌をくわえる口も小さいはずである。小さなエビとかはその候補だろうが一年中同じ餌場で大発生してくれるわけではない。通称ハウエリの口器部分のセットありの化石を知らないが、あれば見てみたいものだ。種としては白亜紀末までだが日本はサントニアンがメインのようだ。
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北海道苫前郡羽幌町上羽幌 12cmHauericeras angustum
ハウエリセラス
                  
                     25ソデガイの仲間       前と後ろ
                            新第三紀中新世

 ユナガヤソデガイ-Yoldia sagittariaは深海(推定水深200m~500m程度)に適応していたと考えられている。ソデガイ化石の仲間は現生にも続き、その種によって浅い海から深い海まで適応しているが、現世のナギナタソデガイがこの化石種に似ている。緯度が高いところでは当然生息深度は浅くなる傾向はあるものの、そのような深度になれば光がわずかに届く世界とか、光の気配が分からない程度の世界という想像しがたい静寂の別世界だろう。
 これには運よく殻が残っていて非常に薄い殻だったが、そういえばこれまでも深海の貝化石の殻は薄かったような印象があるが、深海では殻の厚さの必要性がないのかもしれない。通常はやや小型とされるが、この個体は通常サイズよりかなり大きいのでもしかして違うのかもしれない。殻は長卵形で後端は少し尖る(画像は少し欠けている)表面にはかすかな成長線が見られるだけだ。前後の咬歯部は他のソデガイより直線状で[くの字]の形の小さな歯が多く並ぶ。
Yoldia sagittariaは絶滅種で中新世までだが、Yoldia属としてはおおよそ古第三紀の漸新世から現世まで繁栄しているもの。
 化石の部位に関する用語は図鑑などでは時々出ているが、これはH.P.だと割り切っているので説明しない。それで例えばこの二枚貝の話では殻の前後が決められないと使っている用語がなんとなく意味をなさない。多分図鑑はお持ちだろうということで済ませているがなんとなく気になる。
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愛知県知多郡美浜町 Yoldia sagittaria 5.4cm
通常サイズよりかなり大きいが、どうなのか
ソデガイ 化石
      26シーロガステロフォン(?)     へんなの/2
                                   ペルム紀

 (3P-29)は大垣市金生山のシーロガステロセラス<Coelgasteroceras>のテーマだったが、その北側およそ40kmに位置する本巣市根尾でも出たことあった。これは金生山では相当な貴重品扱いになっている。<エリアで言えば根尾だけでなく東側の美山町さらに東の洞戸町へと続くかなり広い地域で、化石もよく出るのに根尾以外はあまり知られていない>。
 この地域は昔々にずっと南の地で移動しながら似た運命をたどって、今は日本列島の一部になった地塊(金生山、舟伏山、・・・)とされている。
 日本各地のどこでも、ことオウムガイとなると産出自体少ないが、根尾の場合はファコセラスが大半でほかの種類のオウムガイ(ドマトセラス、シーロガステロセラスとされる)は極端に少ない。
 その根尾で以前に螺環(住房)のカーブの直径だけで12cmほどある扇形のシーロガステロがあった。それはナチコプシスの一部かもと思わせるもので、まさに採集屋さんが俗にいう残念標本というやつ(上画像)。
 でもそういう〇か×の話より、訴えかける石なので持ち帰る。まずは、同じペルム紀金生山との共通種だということ。そして根尾では(3-25)でのシカマイア<1メートルほどにもなる>以外でも、頭足類の一部ででかいのがあるんだ。
 しかし、根尾ではシカマイアを除く殆どの化石が普通のサイズであること。未解明だが、金生山では同じ種類でも古生代にしては大きく目立つ化石群。これ等をすっきりさせてくれる理論はもうでているか。。・・自分では考えが及ばない。
 下画像のは面白半分でシーロガステロフォン。現場で割った石で、耳が少し欠けたのかなとしたベレロフォン。状態を見て珍しくクリーニングできそうということで持ち帰った。戻ってからクリーニング始めて「欠けたベレロフォンではなくオームガイか」。ここのは内部は結晶化が著しく殻表面の彫刻は何も残っていない。さりとて臍近くの縫合線が見えていない。シーロ腹部の平坦になる傾向は?・・・わからない。それにどっちつかずの形状。まあこのベィビーはベレロだろうな。
岐阜県本巣市根尾松田 一部だけ
 Coelgasteroceras・giganteum 12cm

 シーロかロフォン! 3cmのベイビー
ベレロフォン
                                27レプタゴニア        いいかな
                        デボン紀後~石炭紀前期

 その昔、石炭紀では有名な大船渡市の上板用地区内で採集した腕足類化石で、アルバム本では、当時の資料に従ってレプタゴニア<Leptagonia>としていたもので、その後でも海外の画像で見かけていたが、いつのころからかマルギナチア<Marginatia>という似た化石を見るようになる。それがまたこのレプタゴニアと概ねよく似ている。気になって調べても記載や比較や経過とかについてNetでは断片的で手がかり辿れず。マイナーで種類の多い腕足類ではなおさらである。新属へ移行したのかなあ。
 当時はレプタゴニア(未定種)としていたので海外のレプタゴニアを探し出して、こんどのマルギナチアと比較してみたところ、共通なのはその外形。放射肋だけが見られる腕足類が多いなか、細かい放射肋と細かいラメラ状の成長線は強さが同じくらいで交錯して細かい格子を作っている。このタイプの腕足類は少ない。背殻のようだが中央部に縦溝は作らないようだ。改めて海外の元レプタゴニアを見ると、成長に伴う同心円輪の部分が周期的に高まり皺状になっている。したがって離れてみれば輪肋の周期的高まりが目立っている。マルジナチアでは特にそのような構造が見られない。ということで、やはりレプタゴニアとしておく。
 最近の訪問者の標本を見る限り、昔と違って今は適度に風化して保存のいい化石はほとんどないようだ。でもくたばる前には周辺含めて訪問したい。
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岩手県大船渡市Marginatia burlintogensis
 4.2cm  圧力変形あり
レプタゴニア 石炭紀腕足類
                28ニッポノマルキア      自慢じゃない
                             新第三紀中新世

 滋賀県からのニッポノマルシア(Nipponomarcia)で1cm前後の小さな二枚貝の化石だ。これは岐阜県瑞浪市にも産する。ほんとはラテン語系統なのでciやcyはキが近いようだ。珍しいものでもなく地味なものだけど示準化石(絶滅種)で
 化石に限らずこだわりもなし全指向タイプの人間だが、スタートは示準化石からだった。特に示準化石ということでもあり頓宮という産地近くを通りかかったのでそれを機会に探してみる。 産出場所の環境によるのかもしれないがニッポノマルシアは密集して得られるので楽勝のはずが、そう甘くない。小割のときの振動で殻がすぐ壊れる!。丁寧を心掛けて少し持ち帰ったが、さらに整形で殻が剥がれ、二番手が一個だけ。
 ブロックで得るほうが楽だが、小さい化石のためブロックの画像では殻の装飾まではよくわからないはず。それで、もし採集したなら少し拡大画像にしようと思っていて、いざ拡大したら、(参考本を見ていて成長肋だけと思い込んでいたところが)放射肋もあるではないか。同時に少しクリーニング不足も露呈。つまり殻の後端はまるっこくなるはずだ。
 近接撮影のできるコンパクトデジカメがあれば、対象がおよそ3mm以上なら鮮明とまで言えないが撮影は可能なので化石撮影だけならこちらで充分。
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Nipponomarcia 滋賀県甲賀市土山町 1.4cm
ニッポンノマルシア
                  29ツキガイモドキ   普通の貝ではない
                                  
新第三紀中新世~現世

 山梨県遅沢の産出のツキガイモドキ(Lucinoma sp)で、化石種もときおり見かけるが現生種は20~100m程度の海底に住むようだ。小~中型サイズで丸っこい外形。殻頂はやや前方に傾く。膨れない殻を持ち、殻表は規則的な間隔で成長線とシャープな形状の輪肋のみですっきりしている。産出は少ないが珍しくはない。
 見かけはいたって普通の貝だがこの二枚貝は化学合成細菌を共生しているそうだ。現生種(ツキガイモドキ)でみれば殻内部の肉柱痕の付き方が通常種とだいぶ違う。つまり菌類と共生して、いい環境を提供し代わりに細菌の持つエネルギーをいただくというしくみ。環境の厳しいH2SやCHを含むような砂泥中に住める。食の何%くらいを化学合成菌に依存しているのかは不明。なお5p-11のキヌタレガイはこの仲間になる。この細菌共生の貝には深海のブラックスモーカーの噴出口付近にいるシロウリガイが有名だ。 
 なお、ルキノマは28のニッポノマルシアと同じく学名表記の中に"ci"の綴りがあるがこちらにはカタカナではシでなくキがあてられルキノマと読まれる(逆にルシノマとは聞かない)。他にもラテン語学名のカタカナ化が一貫性がなくもやもやする。
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山梨県南巨摩郡身延町Lucinoma sp5.2cm

ツキガイモドキ 
                                        30ヒメムツアシガニ        縄文時代
                             第4紀完新世

 50年以上前に、名古屋港拡張のための浚渫・埋め立て作業に伴い、多くの貝殻と共にムツアシガニをはじめとしてカニの化石も産出した(画像はヒメムツアシガニ;Hexapus anfractus)。その砂泥層は凡そ3000~6000年(層の厚みもあるため)というので縄文時代のころだ。でもカニに関しては立派に化石にみえる。
 他にもいろいろな種類の生物が産出したはずだが、これだけ新しい時代のものだと、化石に優劣はないはずだが、縄文時代の二枚貝の化石をとり上げようにも「何で?現世」の反応になる。貝類は貝塚と同じように化石には見えないため。
 カニは現生と同じ種がたくさん出ていたが、ヒメムツアシガニ現生種は同じ伊勢湾にはもういない。今現在日本での生息場所は九州の有明海だけとされるようで、環境庁のデータにあるか知らないがたぶん絶滅危惧種にあたる。
 十脚類だがムツアシガニ科は名前の通り歩脚が3対という珍しい種類だ。このうちヒメムツアシガニは、あるきまった種のナマコやゴカイに寄生していることが多いという。 体長は甲長7mm、甲幅1cm以下で脚を入れても2cm程度。背甲部にわずかな凹みがあるかわいらしいカニ化石だ。現生を見ると足は毛むくじゃら。同好のU氏の採集になる。
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愛知県東海市天白川河口
Hexapus anfractus~ 2cm
カニ化石

          31キタクシノハクモヒトデ  クモヒトデ(Ⅲ)
                                 
    中新世~現世

 静岡県家代の鮮新世化石でキタクシノハクモヒトデ<Ophiura sarsii>になる。現生のは、かなり寒い地域とかそうでなければ深い海にいる。化石を多く産出した掛川市も大きな工事が終わって化石の産出地、産出量も少なくなっている。
 キタクシノハクモヒトデはやや小型のクモヒトデで、集団を作りやすい。棘皮動物の、特にヒトデやクモヒトデは死後まもなくバラバラになることもあるが、ヒトデの類の化石をクリーニングするのは何より難しい。ヒトデ類はすべてが小さなパーツばかりの集まりでその結合がゆるい。棘など表面部分は最初から失われていることが多い。内臓にあたるところがスカスカあるいは圧力でぺちゃんこ。化石に沿ってうまく割れたとしても背腹真っ二つで両方がカウンターパーツになることが多い。クリーニングを進めるたび軽く小さいパーツが飛ぶ。
 生きているときと化石になったときの見かけがあまりにも違うため現生種の図鑑はほとんど役に立たない。種名を決めるのは現生種の骨片、棘、口器、腕骨・・・の特徴を熟知してないといけないみたい。
 クモヒトデ化石を素人が現生の図鑑など、肉部を残した現生のものと単純比較しても何も決められない。骨片や棘、口器などのクモヒトデ種類による違いなど、構造も理解してないと無理だ。
 ヒトデだけではない、例えば同じ棘皮動物のウニ。現生図鑑は当たり前だが棘が生えていて、出土する棘なし状態の化石とは大違いで殆ど種名の手掛かりがない。新生代ウニでも出るのは(判定できるのは)せいぜいブンプクやリンシアウニばかりで、科のレベルどまりが多く、棘皮動物の種の特定は素人には簡単にできないことがわかった。
 ヒトデやクモヒトデの化石は家に何種類もあるはずだが特徴が捉えにくく、特定できたかな、思うのは一割程度で、多くは手つかずのまま。
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静岡県掛川市家代Ophiura sarsii 4cm程度
キタクシノハクモヒトデ クモヒトデ化石
キタクシノハクモヒトデ クモヒトデ化石
         32オキシセリテス・o  オキシセリテス(Ⅱ)
                    ジュラ紀;バトニアン~カロビアン

 40年以上前の冊子で<いずみ村の地質と化石>があった。古生代~中生代の地層が分布するこの地域を村が紹介したもの。それによれば福井県の旧和泉村は日本で初めてアンモナイトが見つかった場所とされる。これに掲載されるアンモ等の写真は少なく、また昔の本なのででやや不鮮明だ。しかし気になる化石がいくつもある。産出していた場所も幾分違っているようだ。どこかに保管されてるはずのその標本。
 さて、この化石はオキシセリテス・アスピドイデス<Oxycerites・aspidoides;'97年以後設定>のように見えるがO・オッペリー< oppeli>の可能性がある。
 はた目にはフィロセラスの仲間のように見えるが、オッペリア科に属し、ほぼ扁平かつやや密巻きで臍はかなり狭いがはっきりしている。側面外半部に殻口に向かって凸な肋を持つものが多い。保存がいいとゆるい”く”の字型の成長線がかろうじてみられる。オッペリア科のメインはオキシセリテスになる。
 この標本はまあまあ保存がいいほうだが、成長すると側面の外半部に"("の形の間隔を置いたはっきりとした肋が見られればO・アスピドイデスなのだが、画像標本で確認できていない。内半部は多くの細かい成長肋が見られ螺環の外半部にまで達するのもある。なお、O・オッペリーでは成長してもはっきり見える肋がほとんど消え平滑に近くなる。それでオキセリテス・オッペリーと判断する。
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福井県大野市和泉Oxycerites opperii 5cm
オキッシセリテス オキセリテス オッペリア
                                    33トラキアka   ジュラ紀なぜ貝は少ないの?
                           ジュラ紀;ヘッタンギアン~

 
福井県和泉地区のもの。スエモノガイ科のトラキア<Thracia> のsubrombicaに近い(近いが前面に稜は見られない)。これはジュラ紀中部の宮城県韮の浜層のが記されていたが、産出した和泉地区はもう少し上部になる。資料は日本化石集を頼った。その後の白亜紀最前期には同じ属のトラキア・ショウカワエンシスがでているが、これはすぐ隣の岐阜県の産出。
 この地区はアンモナイトが産出するが、元々その石の語る過去というものに興味があるので、アンモ産出に伴う他の生物;貝類他の動物の化石がかなり少ないことの方がどうしても気になってしまう。和泉地区の場合は貝類は種類も数もかなり少ない(この地域周辺でも白亜紀層になると堆積環境の変化で貝類は多くなる)。
 それと、この地区に限ればアンモに比べ小さく目立たず表面の装飾も失いがちな貝類化石は、アマには人気がなく「貝か、ポイ」される。
 中生代ジュラ紀の貝類化石は扱いが小さい。産出率が小さいことがあるだろうが、私にはそれこそなぜだろう?である。注目されることがあるかもしれないと、むしろ積極的に拾っておいたがいっこうに増えない。それでも二枚貝種は、Bositra , Parvamsium、それから将来優勢になってゆく<Inoceramus> その3種に加えてさらに5種類ほど、また、巻貝は2種類ほどになった。頁岩中のものなのでベストな状態ではないけれど、殻表面の状態を知るために大事な凹型も無視はしない。ただ、昔からあらたな資料が出ていないし、今後も見通しがない。
 三畳紀末の生物絶滅期を経てようやく落ち着いてきたジュラ紀である。貝類の回復は遅いのだろうか。二枚貝はともかく巻貝は生活が表在性だからだろうか、さらに少ない。
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福井県大野市和泉 Thracia cf subrombica 2cm
トラキア 二枚貝化石
               34ミズノテングエビ    (エビ←ヤドカリ→カニ)                                新第三紀中新世~鮮新世?

 2017年発表された、ミズノテングエビ(Mizunotengs・makigutimai)になる。鼻先が長く伸びているのが特徴のミズノテングエビの学名にはいずれもアマチュアの発見者3名の名前がうまくとり入れられている。新聞発表は甲殻類研究で知られる化石館内。
 1983年に愛知県南知多町(深い海の化石生物群で有名になっている)で発見されていたヤドカリに近いとされていたエビの仲間の研究が、10年ほどのちに追加標本が出たため、しだいに全体像が明らかになり2017年になって新属新種のミズノテングエビとして発表された。…実に最初の発見から36年ほど経過している。死後バラバラになりやすい種の全体像は、標本がある程度集まらないと簡単には解明できないものということだろう。
 他にも棘皮動物(ウニ、ヒトデ、ウミシダ等々)は恵まれた静かな堆積環境でももバラバラになりやすいのが多い。こういうものは属までの分類さえ難儀するはずだ。
 ミズノテングエビを現生と比較して見たら、ツノナガシンカイコシオリエビ【角長深海腰折海老】が比較的似ている。通常では体の腰から下を常に折り曲げた状態にあり、ずんぐりした印象を与えるがこれの形態は短尾類のヤドカリとかヤシガニに近いものとされる。深海コシオリエビをたまたまNETで見つけた。その動画では動きがあまりにもゆっくりしていて、じれったくなる程だった。
 通常の甲殻類は10脚なのでハサミ脚を除く歩脚は4対あるが、この仲間は3対である(残りの1対は退化しているのか、弱々しく残りにくいのかどれにも痕跡が見られない?)。 
 シンカイコシオリエビ科そのもののなじみが薄いが、新属のテングエビはヤドカリに近い形態というものの、見た目は何とも中途半端。顔つきは海老に見えるがその甲は前後が長いタイプのカニのように見える。そのカニにしっぽがあり、2~3節だけ残して内側に巻き込んでいるので短い尾部にしか見えない。
 脚の断面はおおむね四角形ですべて中空。そして脚にはびっしりと棘が生えている。とくに鋏み脚は長大で体長の3~4倍以上はあり、長いものでは脚の直径ほどにもなる大小の棘に覆われていて(下画像はよく見ると棘がわかるかも)ハサミ脚の先端部は華奢ながら甲幅くらいあるハサミ部になっている。口までに餌を運ぶ構造というより、体から遠くで柔らかい餌を切る必要があるみたい。
 多くのエビ・カニは脱皮するのでテングエビもそうだろうが、脱皮時には特別に殻が柔らかくなるはず。三葉虫のように脱皮殻あってもいいはずだが?。
  2017年に聞いた話によれば、最初の化石発見当時の場所は昭和~平成にかけての農地造成工事中のことで、それはもう失われている。
 最初の上画像のはもちろん発表以後に初めて見つけたもので、気づかず危うく処分してしまうところだった。化石採集に行く機会があり、予想通りに大過なく終了。これ、どうしようかなというレベルの石を、軒先にずっと放置して忘れていた。これをある日、ふと化石を見ているとなんと!しだいにエビの化石のように見えてゆく。こうなれば石ころの待遇が大きく変わってしまう。丁寧にクリーニングをしてみれば、多くの化石が圧力で甲羅がつぶれているのに、これは保存が良い。これが何かわからなかったなんて!。しかし、どこで拾ったのだろう?が思い出せない。 しばらくして後、まったく記憶の戻らない採集場所を求めて捜すことになった。
 この種のエビは深海の化石が出るようなところなら、今後も見つかる可能性があるが、可能性のある場所は少ない。そのキチン質からなる殻は、厚みが薄いと分解しやすい。化石として保存されたものはクリーニングの時には弱い衝撃で壊れやすい(もろくなっている)ものだ。
 
 なお下画像は化石の腹側の部分がすでに露出しかけていたので、止む無く腹側からクリーニングしてしまう、腰を折って尾をたたんでいることは分かるだろうか。  エビ・カニは死ぬとすぐ脚の関節部から離れてしまうので、この標本は全体像がかなり判明できそうな貴重なもの。願わくばこれを反対側(背中側)からクリーニングできたらいいかなあと思ったりもするが、私には無理みたい。
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 この下画像をマウスポイントした時は別画像になる。それは、
 目の周辺、鋏の先、部分化石など断片的な他の化石の情報も加えて、どうなんだと描いてみたミズノテングエビの復元図になる(実のハサミ脚はさらに長い)。そのアンバランスな長くて弱いハサミで何を切るのか、突き刺すのか、ハサミ脚で餌を口にまで運ぶのだろうか。想像すると面白い。化石ではメインになる甲羅の部分は圧力により平たく押し伸ばされていることが多い。

愛知県知多郡知多町 
Mizunotengs makigutimaiの 甲長3.7cmと3cm
ミズノテングエビ コシオリエビ
ミズノテングエビ コシオリエビ

上下11.7cm 腹部側
画像をマウスポイントする 復元図
ミズノテングエビ コシオリエビ
                                       35ユウバリセラス   夕張だけではない                                白亜紀上部チューロニアン

 北海道巡検の初回は、高速道路がまだ札幌市のみ、連絡手段は固定電話だけ・・・という時代。何もかもが初めてで不安だらけだったことを覚えている。記憶に残るのは上夕張の川でいきなり岩盤に張り付いた50㎝ほどのイノセラムスを見て唖然としたこと。予想だにできずカメラを持っていなかった。そこでは他のものは大したものはなかった。化石位のレベルが低いとされたのか、すでに割られて川岸に打ち捨てられ散らばっていたアンモナイトの化石の破片をすべて拾い集めて、戻って地元の大先輩に聞くと「これはユウバリセラス<Yubariceras>)。かなり大きい」それを聞いて感動し、その後家に持ち帰り組み立て復元したら、擦れたり最初から壊れた部分とか問題はあるものの19㎝サイズの一個のアンモナイトができてしまった(化石アルバム冊子に)。これの最近すこし気になっていたところを再クリーニングとかを施し、母岩を減量してちょっとスマートにもできたので、せっかくなので写真も撮りなおして画像としてここに追加する(下画像)。元々から殻の壊れたところとか問題もありアラも目立つがこれだけ大きくなるとどっしりとしている。
 さて、その大先輩に別の日、上芦別にお連れいただき化石の取り方を指導していただいた。そのおり、少し前に歩いたという新鮮なクマの足跡と、そこで[ほら!臭いがする]と言われた時には「やっぱりいるのだ」とショックを受けたが、『それでも北海道に人はたくさん住んでいるのだからな』。と思い直してその後につながっている。
 それからユーバリセラス種の採取は、ほんとうはそうそう簡単ではないことを除々に知ることになる。以前からアップしていた上画像のユウバリセラスは見栄えのいいものだが子供サイズだ。指で触って突起を確認するが11列までは確認できない。さらにもう一つ中間サイズで、11列とされる突起列が確認しやすいものもあるにはあるが、殻はほとんど剥がれた状態で見栄えは悪い(一度割っただけで済んだ)。それぞれ見ているとユーバリセラスの突起の強さは個体変化の範囲だと思える。 
夕張市大夕張 Yubariceras japonicum 5cmと18.5cm
ユーバリセラス yubariceras
ユーバリセラス Yubariceras
                              36スピリフェリナ・O  腕足類Ⅸ 中生代産
                        トリアス紀(カーニアン)

 以前福井県高浜市で中生代トリアス紀上部層の難波江層群から小さな腕足類を得た。スピリファーの類だ。そのうちのひとつに「この腕足類はすでに持っているぞ?」と不思議に思う。宮城県気仙沼市からの古生代のペルム紀の腕足類でスピリフェリナとしていたものとそっくりだったから。もしかしてこいつは古生代末の大絶滅を乗り切ったというごくわずかの種類なのか。
 とりあえず家で気仙沼産と比較してみればやはりよく似ている。難波江層での産出がいくつかの資料には腕足類そのものが見当たらず焦ったが、何とかたどりつくとスピリフェリナ・オガワイ?<Spiriferina cf ogawai>とされていて、やはりスピリフェリナ属だ。さらにここの腕足類がもう一種以上あるがその記録もなく話にならない。
 事実だろうがこの腕足類はすごいなと感動を覚えた。腕足類は古生代の示準化石として利用できるものが多いが、古生代末の大変動で三葉虫他多くの生物はほとんど絶滅したとされる。中生代からは腕足類の同じ地位は二枚貝が席巻していく。現実には腕足類は中生代ではほとんど採集できないたぐいだと思う(しぶとく生き延びているのであるにはある)。多くの化石を得られやすい新生代でも腕足類化石を得られると嬉しくなるほど珍しい。現生の海でもほとんど見ない(あるにはある)。
 このスピリファーの仲間が、なぜ大絶滅を乗り越えたか興味はあるが、私にはそこからの糸は手繰れない。なおスピリファーの仲間はもう少し後まで生き延びる。このS・オガワイとS・クリスタ―タとではおおきな違いはないが、あるにはある。それは次のテーマで。
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福井県大飯郡高浜町 
Spiriferina cf  ogawai 3.7cm
スピリフェリナ 腕足類化石
      37スピリフェリナ・ 腕足類Ⅹ・・ こちら古生代産
                        ペルム紀(二畳紀)中期

 昔も昔・・、この宮城県の上八瀬(ペルム紀中期のころ)と、岐阜県大垣市金生山はほぼ同じ時代を過ごしたようだ(過ごした場所は違う)。かなり共通種があるだろうということで気仙沼市に遠征した。
 ところが、母岩も含めかなり様相が違っていて産出する化石には共通種が少ない。似てるかなと思えたのはわずかの種。生息環境の違いを認識した。
 そんな中でスピリフェリナ<Spiriferina・cristata>も採集できた腕足類だ。関心がなければ「二枚貝類だね」と言われるのは二枚の殻があるだけにしようがない。
 そんな時は、二枚貝(軟体類)は進行方向があるから左右がある。腕足類は上向きと下向きが決まってるから腹殻と背殻がある。と言えばわかったような顔をしてくれる。たぶん、それ以上詳しいことは言わないほうが混乱しない。
 上画像はスピリフェリナの腹殻(茎殻)のほう。殻頂が少し突き出ていて、こちらを上にしている。基本的に殻は左右対称だが、実際は圧力でいろいろな方向に変形している。スピリフェリナでは殻の中央部には縦溝があり深い谷間になっている。これに対応する背殻の中央部は稜とよばれ放射肋がここだけかなり高まっていてる(ただし、両殻の殻の彫刻の変らない腕足類もよくある)。その左右にある放射肋は5~6本で翼部近くではかなり弱まる。
 下画像はその背殻(腕殻)を上に向けた画像の方で殻頂は突き出てない。蝶番(ちょうつがい)線は長めだ。見たところ36でのS・?オガワイの方は、成長線が襞状になったところがまばらにみられるようだ。
 未だに分類上に問題のあるような腕足類だが、ほとんどは外棲型で肉茎で固着するものが多いが、直接腹殻で岩に固着するのもあるらしい(カキのように)。
この小さなスピリフェリナが古生代と中生代の壁をまたいだということで、私にとっては今は愛着を感じる腕足類化石になっている。
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宮城県気仙沼市八瀬Spiriferina cristata
スピリフェリナ ペルム紀腕足類
上の標本(合殻)を裏返しにして撮影 2.8cm 
スピリフェリナ 腕足類
                                     38巻貝       日本の4億年前の巻貝だ
                           デボン紀前期

 現、高山市福地のデボン紀前期の巻貝<Gastropoda>。古生代前半の化石の特に二枚貝や巻貝は話題にもならないほど少ない。デボン紀の貝はこれまでは冊子での断面スライス写真でしか見たことがない。今回みつかったのはそれよりはまし。ここ福地のさらに一部に、二枚貝や巻貝が普通に腕足類とともに生きていた。この類の化石は、偏在するとか、地味過ぎて興味を持たれないとかがある。自分にはどんな化石でも見境なくとり上げる。古生代の巻貝や二枚貝は腕足類や三葉虫よりも少ないから、むしろ注意が向く。 古生代のデボン紀以前となると、貝類は海外産ででもはっきりしなくなってくる(実際はオルドビス紀頃から出始めたと語られている)。
 ここで属種不明なのに画像をアップしたが、"確かに巻貝は日本ではデボン紀にはもう種類や数を増やし始めてましたということ。偏在はするが、周辺含め巻貝は5種類ほど確認した(画像以外の化石の保存状態は良くない)>そして不明瞭だが巻貝が、近辺にあるさらに古いシルル紀層の一重ケ根から一種報告されている。
 30年以上前になるだろうか「岐阜県上宝村で日本で一番古い化石が出た」の新聞記事を見たことで、とりあえずで福地を訪れた。そこで偶然に学生や若い研究者が採集してきた化石を仕分けしていた場面に出くわす。興奮しながら見せていただいてたら最後に「これどうぞ」と言われ有難く頂戴したのは、小さな巻貝群集だった。そういうことがあったので古生代でも貝類は珍しくないはずと思っていたが、その後しばらくお目にかかることはなく、なめてはいけなかった。
 上画像
のは現場で「うーん何かしら?と思う状態で産出。巻貝には違いない」という状態。ダメ標本と思っていたものの、ヒマのおり丁寧にクリーニングすると、ないと思ってた螺塔部分があるではないか。観察では丸こい螺塔それに、まばらな螺肋が何とか見える。立体的でいい感じになった。
 下画像は追加でアップすることにした。上画像と別の場所で採集したもので螺塔がまるっこくないので上画像とは別物のようだ。こちら殻の一部も残っていてスリットらしきが見られる。
 。対応する資料は?どうもまだ日本のデボン紀貝類はコメントされてない。netでの英文資料では下部デボン系巻貝にまあまあ似たものがある。
 巻貝には違いない。Gastropoda。巻貝で違いないがそれではヒトを哺乳類だと言っているようなレベルなんだ。
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岐阜県高山市福地 Gastropoda 4cm
デボン紀巻貝
同上     同じかも 巻貝1.9cm
デボン紀 巻貝化石
             39テトリマイア・c 何でこんな変形のしかた?
                     白亜紀ベリアシアン~バレミアン

 、高山市の御手洗地区。最初はジュラ紀中期の堆積とされていたが、示準化石(アンモ)により現在は白亜紀前期とされている。ここでよく見られるのがテトリミア・カリナータ(画像)。ここでは珍しくはないが和名に‘手取”という地名入り、これは新種だったということ(人名や地名が入っているものはまず新種)。
 ところでこの地域の化石は、フォラドミアという木、岩、泥に穴をあける貝のグループ(現世にまで続く一族)。主に泥に頭突っ込んで潜っている泥にもぐり水管だけを出しているフォラドミアに属するグループが多い。つまり外敵を避けやすい内棲型の化石が多いのが特徴だ。ベリアシアン期は国内に同時代相当の地層がほとんどないためか、ここのは化石に特有種が多くテトリミアもその一つだ。殻は幅広で丸みを帯びた太い輪肋がみられるのみ。それは前縁と後端に近づくほど目立たなくなる。殻の外側の痕跡の残る保存のいい個体では、さらにか細い成長肋でおおわれる。
 そしてテトリミアの殆どは放射状に変形が見られるのが普通。下画像は通常に見られる変形の例。殻の前方部分が放射状に大きくへこみ、さらに縁に近いところが薄く引き延ばされたようなものが多い。ルーペで見ても殻の前後縁あたりでは薄いように見える。また殻の前方には放射方向に凹みがもとからある(できやすい)ように思う。
 ところで、同じフォラドミアグループの中でホモミアsp(2-1)がある。ホモミアは産出するとき単殻か、バタフライ・ポジション(開いた翅のような二枚の殻)多く合殻は少ないようだ。そしてテトリミアは合殻化石ばかりで産出する。これは水流などの影響で表出してのち化石になるのか、生き埋め型で生息姿勢を保ったまま化石化するのかであって、化石の変形度が違うだけの実は同じ種類なのではないか。という考えがあると聞いた。テトリミアとホモミアをいくつも並べてよく観察してみるが、変形を承知して見てもやはり別種で棲息環境も違うように思う。
 そうそう、巻貝の化石が非常に稀だ(あるけど)。表在性の二枚貝類は存在するから
、居てもよさそうなのに。何でやろ?。、会ってもよさそうなのにそういえばここには巻貝の化石は極端に少ない。c
岐阜県高山市荘川町
Tetorimya Carinata4.3cm殆ど変形なしは稀
テトリマイア 白亜紀二枚貝
 よくある変形のテトリミアの例 5.5cm
                    40ハロビア     夏は ハロービア
                                  
三畳紀(カーニアン)

 静福井県難波江のハロビア<Halobia kawadai>で、工事に伴って出た石の中から産出。日本の産地のものは、同属他種も含めておおむね三畳紀カーニアンのものとされているが、ハロビア属全体として見れば三畳紀の中部~上部層にかけて見られて、どれもがよい示準化石となっている。通常ハロビアのサイズは小さいはずが、沖縄産のハロビアは10cmほどにもなる(種が違う)。
 ハロビアはその体が薄く、すぐに破片になりやすいので、丁寧に採取したらもちかえってデリケートなクリーニングをしないと化石が浮かばれない。
 殻は半円形に近く殻頂は幾分前による。はっきりしたたくさんの放射肋があり、まばらに輪肋がみられる。また、平らになった前耳の部分がめだつ。蝶番部分が長く伸びていることが、より上部のノーリアンの示準化石になるモノチス(5-18)と違っている。
  高浜町においては、三畳紀と言えばいちおう聞いたことあるハロビアというものを見てみたいと注意していたが、結局、一個体がいつの間にか得られていて、それでは感激もない。それでも、あるとないとでは大違い。同僚の様子からして、ここ難波江ではレアだったようだ。
 ダオネラ(見てみたい)→ハロビア→モノチスの系統とされている。いつかはこれら3種を比較、実感したい
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 福井県大飯郡高浜町Halobia kawadai 2.5cm
ハロビア 三畳紀二枚貝
              41ヘクチコセラスの・・・      何なの?
           
             ジュラ紀(カロビアン)

 ヘクチコセラス亜科の<Oecotraustes>か、<Sublunuloceras>に似ているが気になる存在。肋は強い鎌形ではなく、円盤状の密巻きの殻でもないし、偏平な殻を持つことからしてユールヌリテスの方が適当か。福井市立博物館の図録にあるEulnulites属(ユルヌリテス・ルヌラ)だ。生存はカロビアン・・・これが最初のラベル。問題があることがわかった。上画像の標本では「ラペッツが尖った口ばし状」という点。古生物図鑑では、「ラペッツがしゃもじ型というのが大事な点」だとある。図鑑のモノクロの小さな写真を見る限りしゃもじ型であるような口ばし状であるようなどっちにもとれるもの。ただ、上画像はしゃもじ状ではない。
 次に海外の標本をたどると、大きさ、尖った口ばし状のラペッツの位置や腹部近くにだけある肋の形状まで似ているものがあり、これがオエコトラウステス。しかし、難点は生息がパジョシアン~(バトニアン,カロビアン)期と二つある。繁栄した時代がカロビアン期までが認定されているのなら、これが有力。
 さらにカロビアンという生存期間ではサブルヌロセラス<Sublinuloceras>もある。こちらヨーロッパの標本を見る、net画像は多いものの何が肝心かの資料はない。記載の文がみたいところ。
 和泉産のサイズは2㎝前後。臍は中庸な大きさ、平ら~わずかに膨らむ螺環をもち、螺環の側面の外側に少し前に傾く肋があるだけであとは平たん。その肋は外半部いっぱいまで伸び、ちょっとギザギザに見える。 
 下画像;化石の保存はよくないものの、拾い上げた中に、初期の卵殻(胚のある所)と思しきものを確認したが、そもそも卵殻の実物を見たことはなく、残るものなのか?。よって「たぶんそうだろう」である。肉眼でなんとか確認できるサイズだが、これが卵殻でなかったら何なんでしょう。その周りには螺環を取り巻くアンモのぐるぐるの痕跡が見て取れると思う。
下画像をマウスでポイントするとそれの持ち主の画像だ。
 福井県は古生代のシルル紀から新生代第三紀までの、いろいろな時期の地層の見られるところ。こういう県は少ないのではないか。
bs,ev
福井県大野市和泉 Oecotraustesかも  2.4cm ラペッツあり
オエコトラウステス サブルヌロセラス

アンモナイトの幼殻 胚
上と同種  2.8cmサイズ
         42パラパトセラス ジュラ紀の異常(異形)巻き
                   ジュラ紀パジョシアン~カロビアン

 海外サイトをいろいろ検索しても、異常(異形)巻きアンモナイトの例は日本に比して格段に少ない。日本にだけ異常巻きアンモが多かったとは思えないので、どうしてなんだろう。
 異常巻きの起源はスピロセラスのグループで、これが三畳紀上部ともジュラ紀下部(プリンスバッキアン期)ともされる。どちらかとしても現物化石の画像なり記述なりを、今だに見ることができないのだが。
 そうしてみれば一応スピロセラス超科の仲間で福井県の和泉産のパラパトセラス属<Parapatoseras>は数は出ないものの以前から知られていて、日本での異常巻きアンモナイトとしてはもっとも古いたぐいではなかろうか。そして、この属には変異が大きいとしても、同じ属と思えないほどの二つの種があり、個体数も保存ともよくないのでまだ研究途上なのかもしれない。場合によっては種名が変更される可能性はある。
 上画像は海外のカロビアン産出を参考にするとP・ツベルクラータムに似ている。螺環の伸びに対しやや角度を持った直線状の肋を持っている。その肋の縁(腹側?)がいぼ状になっているものもある(画像のはない)。かなり長く伸びるがしだいに曲がり”し”の字の形のやや楕円形の螺環を持っているようである(海外産より)。ただ、その巻きの程度にも個体差がある。その姿からして、化石化までに螺環が折れやすいようで完全な姿かたちのアンモは見ない。
  下画像はP・ディスタンスによく似ている。蚊取り線香のようなユル巻きのアンモナイトで螺環が前の巻きにくっつくことはない。螺環の向きに垂直でややまばらな肋を持つが肋の間隔には個体差がある。このような形状でも先ほどと同じく螺環が化石化までに折れやすい事がうかがえる。
 これらはいずれもジュラ紀のカロビアン期のものだが、今一つ宮城県の橋浦層群というところからもでているらしいが、これも情報がよくわからない。そこは少し前のパジョシアン期であればどのようなものだろう。知りたい。
 わざわざ生存に有利とは思えない形状のアンモナイトで、どこの場で生きて行ける隙間があるのだろうか。
福井県大野市和泉 左右に伸びている
Parapatoceras cf tubercuratum 3.5cm
パラパトセラス
Parapatoceras cf distans 2cm
パラパトセラス🅱
                              43メタプラセンチセラス    オパールか?
                                  白亜紀;カンパニアン

 メタプラセンチセラス(上画像)みたのは北海道中川町-遠別町をつなぐ道路の脇だった。もう昔のような崖はないと聞く。雪の多い地帯ならではの侵食の激しさによる地形の変化のためだろう。
 炭化物の多いちょっと汚いノジュールにそれは入っていた。剥がれた殻のあたりをよく見るとメタプラセンチの殻は薄いのが分かる。画像は真珠光沢を呈しているが、殻が薄ければ真珠光沢が出るのかと言えばそれは違うだろう。殻の薄いアンモなんぞは他にいくらでもある。
 狭いへそと緩やかに前に傾く細い肋が密にあり、腹部は細くて平らになっている。このアンモはサイズの大小を問わずそろって出る傾向がある。また、スマートな体形でもあり、集団でまとまって遊泳していたのかと想像する。
 
 真珠光沢は貝が外套膜を使って、炭酸カルシウムのごく薄い層をつくりそれをキチン質みたいなので補強する。これを積層でつくる(殻を厚くする)。その層の薄さがちょうど可視光線のもつ波長に符号するとき入射した光が干渉を引き起こし虹のように見えるということ。これは鉱物のシリカの微小球の並ぶオパールとは、材質がまるで違うが似たような現象ではないだろうか。たとえオパールであっても、虹色効果が出ないほうが普通なので虹色でオパール化というのは当たらないが、なかには炭酸カルシウムの貝殻がケイ酸質で置き換えられてしまい、しかも、虹色になるものは稀にはある。そうなると本当の意味でのノーブルオパール化石になる。
 オパールではなくても虹色効果を示すもの殻は種類は少ないもののちゃんとある。さらに同一種であっても化石の生成環境が関係するもので限られたもののようだ(下画像上画像のと同じに汚い炭化物を含むメタプラセンチセラスだった。距離にして数十キロ離れていたものだが虹色効果はまったく見られない)。
 産出は片寄っているがレインボーアンモナイトは国内でも時折見られるし、きれいなので宝飾品のような扱いで輸入されている物もある。
北海道天塩郡遠別町Metaplacenticeras 5.4cm
メタプラセンチセラス
同、    ヌプリケシュマオフ          5.2cm
メタプラセンチセラス
          44デスモセラス・e 軟体部、まさか?
                              白亜紀;セノマニアン
 

 最初のページ、1P-28
にエオデスモセラスとデスモセラス<Desmoceras>を話の都合で一緒に取り上げていたが、もともと生息年代の違うものなのでデスモセラスはこちらに移転。
 腹部でくびれが前方に走っているのがわかる。他を見てもこの時期のものは平滑に近いか細肋が発達した程度の装飾を示すものが多い。してこれはデスモセラス・エゾアヌムだろうか。
 ところで殻口の部分螺管に沿って走る石のもようが、気のせいでアンモナイトの軟体部に見えてしようがない(偶然になる石の模様にすぎないだろう)。アンモ採集者はいくらでもいるのに、ほんとうはアンモナイトの足が何本あるのか、どんな足なのかの話は未だない。
 デスモセラスのグループは白亜紀の後期になると、プゾシアや、ダメシテスなど大きく発展した。初期からしばらくはちいさめで、装飾などでもあまり目立つものではない。おそらくアン萌さんにとっては何だデスモか!でもある。デスモセラスはアルビアンよりもっと古いころから頑張っていたのだ(1P.)
 この三笠市は、その面積の割りに上部白亜紀の主要なアンモナイトがよく見られる出現する代表的な産地である。
デスモセラス
北海道三笠市幾春別町 Desmoceras cf ezoanum5.0cm アンモの肉体が残る珍しい個体・・・・・・・・ならいいのに
                   45テトラゴニテス・g 目立つものは目立たない
                     白亜紀;チューロ~サントニアン
 

 羽幌産のテトラゴニテス<Tetragonites glabrus>である。白亜紀上部にわたってこの属は広く分布しているが、ゴードリセラスにも同じようなイメージがある。これらをあちこちでよく見るが、一つには生存期間の長さがあるだろう。野外ではよく見るから逆に目立たないので、そのまた逆にクローズアップした(そしてこの標本は変形なくなかなかの美形だ)。
 普通種でテトラの由来のように四角い螺管の断面を持つが、あくまでも四角っぽいという意味であり極端なほどではない。他種よりへそが狭く深く垂直に落ち込む狭いへそを持つ。少しだけ前に傾く多くの細肋を持つが、肋というより条線のようにみえる。現実には螺管表面の条線が保存されず、ほぼ表面が平滑に見える個体が多い。画像のは変形がなく殻口をはじめ保存のいい標本。なお、T・ポペテンシスではへそが広いのと、産出帯の時間軸が違う。
 ただ、生存期間のためだけではなく、なぜにこれらは突出して多く産出するアンモナイトなんだろうということは、素朴に不思議なことだった(他の例で、異常巻きアンモの中でもポリプチコセラスの突出も)。周りの石友に話しても、採集しか興味はないとか、難しい話だ。ということになる。
 無理もない。化石は軟体部が残らないのこともあるし、得られる情報が限られるし推定や想像になってしまうから。解決できそうにないこういう素朴な疑問が山のようにある。正直なところ単純に採集しか興味がない人たちがうらやましい。
北海道苫前郡羽幌町 Tetragonites glabrus
9.5cmテトラゴニテス
              46デスモセラス・j      文献書類
                         白亜紀;セノマニアン

 芦別川そそぐ支流の川の上流でセノマニアンの産物。デスモセラス・ヤポニカムでシュードウリゲラという亜種名をもつ(画像)。大きさはだいたいこの画像でのサイズ程度までのようだ。
 すぐ上のテトラゴニテス系と違って、デスモセラス系は腹部はもっと狭くなる傾向がある。 シュードウリゲラはその腹部の特徴だけでなく、螺管の側面で周期的なS字形のくびれがあり、腹部付近でかなり前方向に傾くという特徴が、デスモセラス系でよくみられる。その側面~腹部はおおきくなるほどに平らになってゆく。螺管の肩からへそに向かっての傾きはきつくストンと落ちるようなもの。それと保存のいい場合はくびれと同じ向きでの弱い成長肋が見られることもあるはずだ。
 別話、よく資料をよく探す羽目になる。モノクロ時代の文献は写真の不鮮明がネックになるが少しだけでも記述がありそれが役に立つ。一方ネットの時代になって紙の文献ではなくなり、日本、海外を問わずたくさんの化石画像が見られるが、ネットのサイトはとにかくその写真が中心であり、膨大な資料がネットのどこかに吸い込まれているだろうが、この捜査にはほとほと難航するものだ。
 おかげで何の追加資料にも出合わず、アップしていない化石・鉱物がいくらもある(特に化石)。

 日本のみならず諸外国も含めるとアンモナイト化石は時代区分も細かく、たくさんの種にわけられているが、科や属の分類基準は大丈夫なのだろうか。

北海道芦別市上芦別 Desmoceras (Pseudouhligella) japonicum 13cm
デスモセラス
                                 47メガスファエリオイデスo  淡水寄り                白亜紀前期;~ヴァラン・オーテビリアン~

 メガスファエリオイデスの化石は現生比較でマメシジミガイの仲間?とあったが、近縁の種が「豆?ほんとかなあ」という気持ちになる。第一、メガ・・が付くように大きさがまるで違う。こちらは白亜紀前期の淡水生の貝の中でも大きい部類だ。形はシジミガイ風だが、画像は大きくてごっつい、いわばデカシジミ風。
 この標本の場合はたまたま殻表面が残っている化石だが、ちょっと注意が必要なときがある。それは淡水~半淡水産の化石を採集した場合に多いが、化石の殻が溶けて化石化していることが多く、そのためクリーニングは現場で母岩との分離が簡単になる。これは良い。しかし、簡単に分離するからと、仮に見栄えの良い化石の本体だけに目が奪われ採集し、カウンターパーツは捨ててきたなら。そうした場合には貝の噛み合わせ部位(歯)の情報は得られやすい。捨ててきた外形の雌型の方がおもに殻表面の情報を復元できることになる。
 そして、(捨ててきた)外形から粘土で型をとったものが貝殻の表面彫刻を復元できる。(持ち帰った)内形から型を取ると歯の構造が現れる。つまり化石の分離がすこぶるよい所では採集する段階で意識して、捨てずに両方ともペアで持ち帰ったほうが良いということ。 もっとも収集が目的の向きの中には、そんな化石なら初めから要らない、そういう人もいる。
 ところで、メガスファエリオイデスは二枚の貝殻のかみ合う部分(歯)の形は前歯と後歯でまるで違う。一方マメシジミガイの歯式はどうなんだろう。意識していないし、現生の貝類図鑑参照では不明だが、これが分かればマメシジミガイとの近縁関係が分かる。
 ところでこの化石は、当時の恐竜とかの陸生の動物化石の産出のヒントになるということが十分ありうる。
                       
福井県大野市上半原  Megasphaerioides okurotaniensis殻高 約6㎝もう少し大きくなる
メガスファエリオイデス
                     48パラエオファルス・m     放射肋なの?                           三畳紀 カーニアン

 三畳紀の後期に見られたパラエオファルス<Palaeopharus maizurensis>の画像である。カーニアン階の示準化石になる。目(もく)レベルではイシガイの仲間とされるが、形状は似ているもののイシガイ目となると淡水産をイメージしてしまう。このパラエオファルス属は形状の違いでいくつかある。
 ひとつは画像の<P・マイズレンシス>で標本は三畳紀地層を削っての工事中の残土からのもの。同じ石に10cmほどのトサペクテン(5p-19)が共産していた。
 殻は長楕円形で、殻頂は1/4程の前方に寄っている。表面には殻頂~前背縁付近から後腹縁方向に放射肋?(殻頂から放射状に伸びていない。ほぼ平行の肋に近い)が伸びる(あまりないパターン)。
 この肋は強いが前部ではあまり明瞭ではない。それはゆるい角度で輪肋を横切っている(画像の標本は風化が進んでいてそれは見にくい)。他にP・オブロンガータスという殻頂から広がる放射肋が後端縁に向かうもの。加えて楕円形に近い殻長の短い種もあるようだ。 
 古生代の二畳紀末変動による大量絶滅の後は、かろうじて残った生物の天下であり急激に適応放散してゆく。それでも三畳紀は生物相が貧弱な時代で、層の分布地域も少ない。ようやく安定したら三畳紀末にはさらに中規模の大変動さえ起こってしまう。とにかく三畳紀の化石はトータルでも少ない。
                
福井県大飯郡高浜町
Palaeopharus maizurensis 8.4cm
パラエオファルス 三畳紀二枚貝化石
                                    49カニモリガイ・ka        蟹盛りがいい
                         新生代新第三紀 中新世

 岐阜県上切からの採集品で、カニモリガイの仲間と思われる。一緒にいた石友は即座にビカリエラだねとしたが、殻表の顆粒の配置にちょっと違和感があった。調べれば分かると思ったが、保存状態のよくない部分もあり判断がしにくい。 数年のちに運よくこの地域の古い文献を見つけることができ、画像と特徴がよく似たものが出ていた。カネハラ カニモリガイ<Rhinoclavis kaneharai>としたが、ノトビカリエラによく似ているのだ。けど、瑞浪層群なのでノトビカリエラはないだろうとしている。
 しかし、思えば地味な化石でも、標本のラベルがつけられないと気になる自分が気になる。化石は、中~小型で縫合部のくびれはほとんどなく成長につれ3列の螺肋の上に顆粒が並ぶようになる。また、顆粒のうち縫合直下のものだけ強くて、あとの2列は弱くなったりという個体差もあるということになっている。画像の標本は特徴は出ているが、その表現は不十分な状態だ。狭い殻口で水管溝は沿っているという。殻口の形はキーポイントだと思うが、クリーニングの終わりになってやっとわかった。殻口がもっとよく見えるような方向ではなかった。
岐阜県恵那市岩村町Rhinoclavis cf kaneharai
4cm
カニモリガイ 巻貝
               50ファルシカテニポーラ  タムスリップ
                                シルル紀

 原色化石図鑑(昭和41年、56年改定版)特に改訂版は、世界の日本の化石の写真が半分ほどカラーになっていて一般向け図鑑として画期的なもの。しばらくの間案内書のない時代のアマチュアにとってバイブルみたいなものだった。
 そしてその -むすび- に、”日本列島の歴史は横倉山に始まる。佐川盆地からいきなり1000mのその山は‥‥。”とあった。その言葉が忘れられく、いつかは横倉山へ詣でてサンゴの化石群をこの目で見たい、採っても見たい。
 しばらくして、何だかんだで横倉山へ既に行ったことのある先輩に巡り合いここへお連れいただく。願ってもないが車での強行軍(そのとき先輩の驚異的な運転能力には恐れ入った)だった。「確実に大丈夫、出る」との話だったが素人の悲しさ。頭で分かっていたはずのクサリサンゴとハチノスサンゴの区別は、少し薄暗い林の中の現場で難しい中途半端な石ばかり見て採集しているとわからなくなってくる。あとで見ればかなりが首をひねるようなものばかり。順番あとに行った近くの博物館で眼を慣らしておくべきだった。
 案内された場所にもよるだろうが、ここのクサリサンゴの多くは画像のファルシカテニポーラ<Falsicatenipora>になる。これがまた覚えにくい名前。そのためのメモ覚え書きさえ間違っていた。そのあと移動して三葉虫、そして植物化石(デボン紀)方面へと場所を変えてゆく。
 4億年前の世界は、これから発展してゆこうとするファンタジックな生物の世界だった。
高知県高岡郡越知町Falsicatenipora
画幅2.5cm
ファルシカテニポーラ シルル紀サンゴ
              51クラドフレビス・d        離れた
                                 中生代

 クラドフレビス群はシダ植物の中で分類上の位置が未定の一群(似たもの)の、措置が決まるまでの仮置き場みたいなものだとされる。シダ植物に限らず植物化石の繁栄期間は一般に長いので時代を決める手掛かりとなる示準化石とされるケースはごく少ない。ここにあげたのは三畳紀もの。その他に同じ種類と思われるものを白亜紀下部(6-52)に置いている。クラドフレビス自体は、はっきりしない分類グループだがほぼ中生代全体にわたって栄えたことの例である。
 画像の化石はクラドフレビス・ディスタンス<Cladophlebis cf distans>とした。美祢市の大嶺町の周辺は質の良い石炭の採れたところだったが、その元になるような植物化石も産出している。むかしには昆虫化石でも有名になったところだ。
 そこのほんの一部ではあるが例外的に植物化石の保存が良い場所があり、葉の細かい構造たとえば二次脈まで残っていた。しかし、少し地層が違うと植物化石の保存が今一つという状況でもあった。堆積環境のちょっとした差によるものと思っている。ちょっと調べてみたいなという興味もあるが個人では無理だろう。
 C・ディスタンスは個々の葉片が離れてついていて(ディスタンスの種の由来だろうな)、これが葉軸に付いて全体として大型の羽状体になってゆくものだ。
山口県美祢市大嶺町 クラドフレビス左右7cm
Cladophlebis クラドフレビス
              52ムラモトセラス・e     マーベラス! 
                         白亜紀チューロニアン

 ムラモトセラス<Muramotoceras>は、アンモ種には珍しく日本人の名前を冠している。外周の垂れ下がったグルグルの蚊取り線香のように見えていたからで、いまもそのイメージは変わらない。たまたまクリーニングのときに様子がおかしいので、調べると幼体は中心部に入り込んだ形になる、と知った。
 30年以上前のかすかな記憶では同行者と大夕張の日陰沢に向かうはてしない林道で、あきらめて適当に本流に降りたところの川岸だった。そして「異常巻きのアンモナイトの変ったやつって本当にあるん」と感激。それはそうだ、ポリプチコセラスの折れた棒(シャフト)状だろうが…すべてが新鮮だったころ。二度とお目にかからない。
 長く関わり続けていると欲が深くなり、より強い刺激物でないと喜べない人になる。
 有名なニッポニテスは、数は少なくてもいろいろな場所で見つかっている。それに比べムラモトセラスの産地は少なく、異常巻きの中でもニッポニテスより珍しいもの(いわゆる希産種)と思うがどうだろう。
 近年アンモナイト分類の見直しが進み、この属での新しい種類(新種)が広がったが、やはりどれもこれも発見例が少ないことに変わりはない。
 化石のうち北海道のアンモナイトはよく出回っていて、今や国内では興味のある人はいいのを持っている人が増えて飽和気味なのかなと思う。それでもよくフェアーとかに供給される。北海道の産出量は以南の内地に比べ質も量もすごいものだ。 対照的に、面積ではより大きいはずの内地では三畳紀~白亜紀層まで歴史をたどれるものの、アンモないとは簡単には姿を見せず、見栄えも劣るのが多い。
 いささか乱暴だが、いろいろな化石に長年携わった私の経験イメージでは北の50cmサイズ正常巻と本州以南での15cmサイズ正常巻なら、同じくらいのレアな出合いだと思う。ただし最近は齢を重ねたし、しばらく遠征は控えている。
夕張市大夕張シュウパロ川本流Muramotoceras・ezoesnse 5.8cm
muramotoceras ムラモトセラス
             53クラミス・m       図鑑は夢をはぐくむが
                          三畳紀上部カーニアン

 ぶちまけた話、化石として得られるのは貝類や植物片が普通であり、恐竜や三葉虫とかの、よく図鑑を飾る古生物であるほど手に入れる(目にする)機会はないのが現実。
 古生代末の大規模な火山活動にはじまる変動を皮きりに、連鎖的に別の大変動が起きて古生代は終焉を迎える(とされる)。影響は大きく多くの種が絶滅して中生代の始まりになる。貝のような殻を持つが生活サイクルがまるで違う古生代の腕足類は壊滅的なほど種を減らす。新しい時代には古生代で傍流だった二枚貝が少しづつ勢いを増してゆく。とくに巻貝はなかなか回復しない。
 中生代の始まりトリアス紀(三畳紀)は厳しい環境からの回復で始まるもので古生物の化石は、種類も量も分布範囲もかなり少ない(特に最初の500万年前後が少ない)。この日本ではことに三畳紀層の分布範囲が狭い。二枚貝の中ではホタテ貝のグループがしだいに広がりを見せる。現生のホタテ系は殻を急いで開け閉めして、泳ぐかのように敵から逃げることがあるが、仲間のクラミス系は形は似ているものの殻の前後の出っ張り(耳という)は非対称で、いくつもの足糸を出して岩にしがみつくというつくりだ(ということになっている)。
  このC・モジソビッキは小型~中型サイズ。放射肋が目立つくらいで前縁は少しギザギザぎみ。この産地のは母岩と化石とのコントラストが悪いが、標本の保存自体は割合良く、耳の形は典型的なクラミスと分かるもの。足糸の出る方が前側なので画像は右殻になる。三畳紀の後期を示す示準化石でもある。
福井県大飯郡高浜町
 Chlamys mojisovicsi  3.3cm
chlamys mojisovisci
               54プリカチュラ K    ネズミの手か?
                      白亜紀;オーテリ~バレミアン

 画像は有田の層から産出したプリカチュラ<Plicatula kiiensis>で、和名はネズミノテガイの仲間となっている(ネズミの足をよく見たことがない、手かい?)
 この有田層の現地では一番多く出現するような貝類で、そういうのは見栄え重視の化石屋さんでは二枚貝とか軽くあしらう人が多いが、私はそんなことができない性分なのがある意味では困ったことになっている。
どんな化石でも何かしら語るものがあるはずと思ってしまうから!。
 和歌山県から遠く離れた群馬県(~長野県)に分布する石堂層でも同じバレミアン期化石が知られていて、かなりの化石種が共通するのを直接見ているのでそれは興味深いのだが、よく見ればプリカチュラに関しては有田層では多産するのに、意外にも石堂層ではこの化石は見かけない(探検範囲・資料不足でしょうか)。種名は紀伊の国からきているし。もしそうなら有田層では固有種なので、こちらでは多産するのだと思ったりする。考え方をかえればかえってプリカチュラは国内で見れば珍しいのかもね。でも資料自体見つからないのでだいたい想像するだけでおしまい。それからどうしてネズミのてガイというネーミング?なんだろだってこれも調べたくなる。
 多産の割には、多く化石の本体はぐずぐずになっていたり、変形はなはだしいものばかりでどうしても良いサンプルを引き当てない。いくつかの標本で総合すると放射肋と成長肋の交差したところは少し突起のようになっているようだ。このタイプは足糸で固着生活していたのだろうか。
和歌山県有田郡湯浅町 Plicatula kiiessis2cm
plicatula ネズミノテガイ
左の個体はつぶれた合殻のため見かけが違う
                 55シュードハプロセラス  おさらい~地味な物語り
                   白亜紀下部バレミアン~アプチアン

 中生代の三畳紀のセラタイト型から派生したのはフィロセラスのグループ、リトセラスグループそれに最大グループからなるアンモナイトのグループ(狭義の意味でのアンモナイト)。そのアンモナイトグループの一つにハプロセラス一族(ジュラ後~白亜初)が居る。シュードは偽=似ているの意味でよくつかわれる。偽ハプロセラス・・これってハプロセラス一族に入るのか入らないのかという素朴な疑問が湧く(入れているけど)。 
 画像からわかるのは巻きは中程度で少し前方に傾く肋を持ち、それが腹部に向うほど前傾するということ。あとは同地質時代の他の資料探して勘案推定している。
 白亜紀上部(およそ3300万年間)は石灰質泥岩が多いためか化石が分かりやすく、多多種類のアンモが発表されている。いっぽう白亜紀下部のバレミアンとアプチアンだけでも計1500万年前後あるのに、種名のはっきりしたアンモ種は格段に少ない。本当はもっと多くの種があったはず(こののちアルビアンにかけては海洋異変で一時的に生物種減少があったとされる)。
 日本に広く分布する堆積岩は泥岩~頁岩層や石灰岩で、化石の変形は多いし保存もあんまり良くないから化石種が見分けにくい。さらに石灰岩からも化石は分離しにくい、あるいは明瞭さを欠くものが多い。それらを現実に見ることが多いためもあって化石の見栄えは私はあまり気にならない。どちらも情報を持つ化石だから。
 さて、バレミアン~アプチアンの地層は熊本県、徳島県、和歌山県、群馬県、千葉県、岩手県といったところに分布している。ここ(長野)の産地のものはアプチアンのやや上部層とされ、岩手県北部の地層とよく対比されている。
長野県伊那市長谷 Pseudohoplites sp. 3cm
                              56ホホジロザメ    ムカシホホジロザメは別
                            中新世~鮮新世

 ホホジロザメ(通称カルカロドン;Carcharodon carcharius)の化石は、2p-19で取り上げたことがある。第三紀の中新世(この標本)から鮮新世の化石が残っている。切歯は直線的で鋸歯を持つ、表面はなめらか。画像からもわかるが、一志層群での母岩とサメの歯の色が似ていてコントラストはあまりよくない。そしてこの標本は三重県美里町産出なので第三紀の初期になる。
 サメは、軟骨魚類であり化石は歯以外の情報が乏しいので、当時のサメの全体像に近づけないのがもどかしい。
 最強とか言われる有名なムカシホホジロザメ(通称メガロドン:カルカロクレス・メガロドン)の切歯のラインは緩くカーブしているし、頂角は緩い。鋸歯はホホジロザメよりかなり細かいが写真で比較でもしないとわからない。表面に縦にスジが入っているのが常のようだ。
 メガロドン種は鮮新世には衰退してしまうが、カルカロドン種の子孫は現代に引き継がれている。 結局メガロドンは大きくなるがゆえに機敏さを失い、餌の種類が限られていたのが一因ではないだろうか。さらにサメの類は変温動物で温暖な海を好む。小さなクジラとかは、海水温にはもう少し対応できるし。
 大きい‥それだけで史上最強の捕食者だとかもてはやされるが、ちがうでしょう。だから鮮新世になると、それよりはやや小さいホホジロザメ属(これとても現生では最大級のサメ)が増えてゆく。そしてTVの画像で時折でてくる現生のホホジロザメであっても機敏に動く餌(例えばアザラシ類)の捕食には結構苦労している。サメの類はそれこそ古生代から栄えているが、軟骨魚類のため歯以外はほとんど残らないので、全体の復元となると想像を交えるほかない。
三重県津市美里町
Carcharodon  見えている歯の高さ3.7cm
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